2. 翡翠

 

その子はイルカのスリーマンセルの紅一点だった。とてもかわいらしい女の子で、将来はさぞや美人に育つだろうともてはやされていた。忍びとしての実力もスリーマンセルの中で一番で、年上のイルカと、もう一つのスリーマンセル仲間であるウスビとは最初から格差があった。上忍師もそれを承知でうまく三人を協力して任務にあたらせようとしていたが、いつもヒスイは自分ひとりで何もかもを処理してしまい、二人の意見など聞かない。協力などは一切しない、勝気な少女であった。
時は第三次忍界対戦終結後、ようやく訪れたかりそめの平和も九尾の災厄によって崩れ去った。忍びの数は依頼数に対してあまりにも少ない。ヒスイの能力はどうしても必要だった。少々の我がままは通される、そんな時代だった。
だが、その特出した能力が命取りとなる日がやってきた。
その日の任務依頼はとある森から重要な鉱物を採取せよというものだった。希少価値の鉱物で、他里に知られるわけにはいかない、機密性の高いものだった。
本来ならば上忍のフォーマンセルが就く任務ではあったが、その時出動できる忍びがイルカたちの班しかいなかったため、やむなくの任命だった。
たかが石の採取くらいなんでもないとヒスイは笑っていた。イルカもウスビも大して緊張もしていなかったし、簡単に終わるだろうと思っていた。上忍師だけは一人、慎重に行動しろといつにもなく厳しい態度を取ってはいたが。

そしてその森に入り込んでしばらくして敵襲を受けた。どうやらどこかで情報が洩れていたらしい。採掘場を知られることだけは命に代えても阻まねばならぬと最初に敵に踊りかかったのは上忍師だった。だが分が悪くすぐに負傷してしまった。
イルカたちも続けとばかりに敵に向かって攻撃をしようとしたが、瀕死の上忍師が遮った。考えがあるから一時撤退せよ、と。目的地まで引き下がるのだと。
自分たちよりも遥かに場数を踏んでいる上忍師の言葉に従わないわけにはいかない。イルカたちは上忍師を抱えて森の奥へと走った。
森の中奥深くに行けば行くほど辺りは異様な雰囲気に包まれていく。敵もどうやら追ってこなくなったようだ。
リーダー格であったヒスイが立ち止まった。

「ここで一旦休憩しましょう。状況の把握を、」

だが、ヒスイの言葉をあざ笑うかのように上忍師は突然に笑い出した。

「馬鹿なガキどもだ。」

上忍師のいつもとは違う口調に3人は上忍師から離れた。
上忍師はゆらりと空中に浮かび上がった。その顔は禍々しく変形している。

「先生っ、どうしたんだよっ。」

イルカの呼びかけにも応えない、薄ら笑いを浮かべているだけだ。

「イルカ、様子がおかしいよ。心音が聞こえない。」

医療忍であり、聴覚が人より数倍いいウスビが震える声で言った。心音がない、つまりは、死んでいる?

「そんなばかなっ、じゃあ中身は違う人間だって言うの?」

ヒスイの声に上忍師はけたけたと笑った。

「案内ご苦労だったな。もうすぐ仲間もやってくる。」

けたけたと笑い続ける上忍師の体をヒスイは躊躇なく火遁で燃やし尽くした。

「これで少しは時間稼ぎできるだろうけど、あいつの言ったとおり、仲間がすぐに来るでしょうね。」

「どうするの?一旦里に帰るにしても採掘場はばれちゃうし、逃げられるかどうかもわからない。」

ウスビが気弱な声を出した時、森の中が急に静かになった。何も聞こえない、無音だった。
じめじめとした暗い森だとは思っていたがあまりのおかしな状況に3人は硬直した。

たすけてあげようか

どこからともなく幼子の声が聞こえてきた。本来はかわいらしい声のはずなのに背筋が凍りつくほど冷淡な声。

「誰っ、出てきなさいよっ。」

ヒスイが声をはりあげると、木々の間から黒髪の女の子が出てきた。高価そうな真っ赤な着物を着ている。真っ白な肌、真っ赤な唇。どう見ても人ではありえない。

「お前は、何者なの?」

ヒスイは物怖じすることなく少女に近寄っていく。

「ヒスイ、戻れっ、そいつ只者じゃねえよっ。」

イルカの言葉を聞かず、ヒスイは少女の前に立った。

「この状況を助けてくれるって本当?どうやって?」

「ヒスイ、やめてよっ、」

ウスビが飛び出していってヒスイの元に行こうとしたが何かに阻まれて進めないようだ。異常な状況でイルカもウスビも、そしてきっといつもは沈着冷静なヒスイでさえもまともな判断ができなかったことだろう。

私の代わりにこの森の主になれば何でもできるよ

少女の声はあまりにも冷たい。

「代わり、あなたはこの森の主なの?主になれば敵も倒して仲間は安全に戻れるの?」

「ヒスイ、話を聞くなっ、逃げるんだ今すぐにっ。」

「ヒスイ、帰ってきてよっ。」

イルカとウスビが張り上げんばかりの声を出してもヒスイの元には届かないのか、聞こえないふりをしているのか反応がない。とても嫌な予感がする。この森は入ったと時から何か嫌だったんだ。

何だって思うかがまま。森の奥にある絶滅した草花も高価な石も全部あなたのもの

「分かったわ。あなたの言うとおりにする。」

ヒスイの言葉に少女はにこりと笑った。少女に似つかわしくない、妖艶とした笑みだった。
少女はそっとヒスイの手に向けて自分の手差し伸べる。その白い手が、ヒスイの日焼けした手に重ねられる。その瞬間、あたりはいきなり真っ暗になった。何も見えない、聞こえない、なにがどうなったのか分からない。
どこをどうさ迷ったのか、イルカはいつの間にか入ってきた森の入り口に立っていた。すぐ横にウスビがいた。
夢なのか?俺たちは夢を見ていた?
だが、イルカたちの目の前には無惨な姿となった敵忍の死体と、白骨化した少女の遺体があった。
ウスビが意味不明の叫び声をあげる。

「ヒスイ、ヒスイっ、どこにいるの、でてきてよヒスイっ。」

「ウスビ落ち着け、この少女はヒスイじゃない。ヒスイの髪の色でも着物でもない。おそらくこの少女は、」

白骨化してもそのまっすぐで黒い髪は変わらず、元は高価であったろう、赤い着物はぼろぼろだったが、あの少女が着ていたものに似通っている気がした。

「じゃあ、ヒスイはどこに行ったんだよ。ヒスイはどうなっちゃったんだよっ!」

変声期前の高い声のウスビが喚く。そんなこと、こっちが知りたいくらいだ。

やめて

どこからともなくヒスイの声が聞こえてきた。びくりとウスビの身体が硬直する。

イルカ、ウスビ、あたしはこれからここにいるから。あんたたちは帰りなさい。いいわね、帰るのよ。

「ヒスイ、ヒスイっ、」

ウスビが中に入ろうとしたがイルカがウスビの首根っこを掴んで行く手を阻む。

「ヒスイの言うことを聞くんだ、帰るぞ。」

「でもまだヒスイが中にいるんでしょ?だったら助けにいかないと、仲間を見捨てるつもりなの?」

「違う。」

「だったらっ、」

「ヒスイは俺たちを助けるために残る決意をしたんだ。その現場を見ただろう。」

イルカは足元の少女の骨を見つめた。おそらく、ヒスイは二度と木の葉に生きては戻れないだろう。森に入ったとしても、自分たちにできることは、なにもない。

「式を送ってあとは応援にまかせて俺たちは一旦里に戻るんだ。」

「僕たちスリーマンセルの仲間でしょ?なんでっ、なんで見捨てんだよっ。なんで見捨てんだよイルカ、イルカっ!」

ウスビの、イルカを非難する声がいつまでも木霊し続ける。
ああ、そうだ、自分は見捨てるのだ。その代わり、自分はずっとこの罪を背負い続けていくから。許してなんて言わないから。
イルカの背中には、重い重い枷がくくりつけられた。