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10. さよならありがと イルカは走った。普段ならば廊下を走ることのない自分が息を切らして走っている。 「失礼します。こちらにはたけ上忍はいらっしゃいますか。」 上忍待機室には数人の忍びがいた。その中にソファに座ったカカシの姿を見つけたイルカはそこまで行くとカカシの前に立った。 「はたけ上忍、話しがあります。少しよろしいですか。」 「話しならここでいいよ。なんですか?」 いつものように本を読みながら飄々とした態度で答える。だがイルカは階級差など知ったことかとカカシの読んでいた本を取り上げた。 「なんですかイルカ先生、どうかしたんですか?」 「火影様から聞きました。森へ行くと言ったそうですね。」 カカシはそのことですか、と小さく笑った。 「そうですよ、それがどうかしましたか?」 「あの森はただの森ではないことくらい知っているでしょう。今まで黙っていましたが、十数年前にあの森に取り込まれたくの一は俺のスリーマンセルの仲間だったやつです。今回の一件は俺に非があります。彼女と対抗するならば助力も惜しまないつもりでした。それなのにどうしてこの理不尽な申し出を受け入れたんですか。」 カカシはため息をついた。そしてやれやれといった風に立ち上がるとポケットに手を突っ込んでいつものように猫背の姿でイルカと視線を合わせた。 「これでも俺は譲歩したんですよ。それをあんたは、俺の厚意を無下にして。知りませんよ。今日一日は時間の猶予をあげるつもりでいたのに。」 カカシの言葉が理解できずにイルカは怪訝そうな顔をする。この人は何を言っているんだ。 「カカシ先生、そんなことよりご自分の決断を撤回してください。今ならまだ間に合うはずですから。」 「余計なことしないでくださいよ。」 カカシはイルカの腕を掴んだ。握力が半端でなく込められてぎりぎりと痛む。イルカは顔を歪めた。この人は一体なにをしたいのだ。自分自身を陥れて、意味不明なことばかりを言う。 「すぐに分かります。」 自分の意識を読んだかのような発言に驚いた瞬間、イルカはその場から移動していた。いや、イルカだけではない、カカシも一緒だ。どうやら瞬身を使ったらしい。 「カカシ先生、ちゃんと説明をお願いします。一体どうしてそんな決断をしたんですか。カカシ先生が否と唱えれば里は勢力を上げて森を打破したことでしょう。カカシ先生が犠牲になる必要なんかない。」 「だからですよ。」 カカシはいつの間にか口布を取り外していた。自分の部屋でくつろぐつもりなのか、額宛もはずしていく。 「だからって、答えになってません。」 「あの森は特別だ。こちらが勢力を上げてあの森を攻撃すればただでは済まない。未だ忍び不足の続くのこの里で必要以上の忍びを投入してあの森を手に入れても今は使うどころか宝の持ち腐れだ。だったらいっそのこと俺という一人の人間が人身御供となり、とりあえずの安寧を図るという考えにそれほど不可解なことがありますか?」 カカシの言葉は里の利害を考えれば筋の通った話しだ。だが、人の気持ちは、人の存在はそんな簡単な問題ではないはずだ。だからこそ彼の父親はあのような最期を遂げられたと言うのに。 「それは、しかし人権を無視した方法です。」 イルカの苦し紛れの言葉にカカシは笑みを浮かべる。 「忍びに人権もくそもないでしょう。それに俺は一つ、条件を出しました。」 「条件?」 「これから一週間、あんたを自由にできる権利をいただいたんです。」 「なっ、」 あまりのことにイルカは目を見開いた。そんなことを火影が了承するはずはない。そんな人間を否定するような発言など。 「まあ、物は言い様です。これから一週間、のんびりとしたいのでイルカ先生に身の回りのことをお願いしたいと頼んだんですよ。イルカ先生は気心知れてるし、今回の一件の当事者でもある。当事者同士、腹を割って話してみたいと言ったら一も二もなく許可してくれましたよ。火影の印入りの許可証も見せましょうか?本物ですから。」 カカシは上の服を床に脱ぎ捨てた。そして一歩、イルカに近づいた。イルカは後ずさろうとして、だがその足を止めた。 「逃げないんですか?ま、無駄ですけどね。あらかじめこの部屋には出入り禁止の結界が張ってあります。火影様でも開けるのに苦労するでしょうねえ。心構えが必要かと思って明日から実行するつもりでいたのにイルカ先生があんまり必死になって吼えてたるから連れてきてしまいましたよ。」 カカシは笑みを崩さない。そして手を伸ばしてイルカの額宛をはずした。カラン、と額宛が床に落ちて音が部屋中に響いた。 「これから一週間、あんたは俺だけのものだ。」 一週間、昼となく、夜となくイルカはカカシにいいように扱われた。 そして最後の日、イルカは立ち上がることもできずにベッドの上でカカシの準備している姿をぼんやりと見ていた。今が現実なのか夢の中なのか判断さえできない。 「体を弛緩させる香を焚いていたからまだ身動きできないはずです。」 さらさらと撫でられる感触が気持ちよくてイルカは喉を鳴らす。 「もう行きます。あまり遅刻ばかりしていては部下に叱られてしまいますからね。」 撫でていた手を名残惜しそうにしながらも離してカカシは立ち上がった。イルカはその手を掴もうとするのに動かない。体がだるくて仕方がない。 「さよなら、ありがとう。」 カカシは行ってしまった。部屋の中にはまだカカシの匂いが残っているのにその人はいない。
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