11. 指切り

 

意識のぼんやりとした状態で、イルカはまどろんでいた。いつまでもこの温かい世界に留まりたいと思うのに、頭の片隅で警鐘が鳴る。こんなところでなにをしているのか、と。
遠くで何かがぶつかる音がする。騒音にイルカは目を開けた。と、ともに急に意識が浮上した。
はっとして起き上がるとまだあちこち体がきしんで痛む。体中に汗ともなんともいえないものがついてべたついている。薬も使われたのか、いまだ体が敏感で震えがきそうなほどだ。それが嬉しいようでもあり、苦しくもあって、複雑な面持ちでベッドから降りた。
しかし騒音は止まない。何の音だろうか、どんどんと何かがぶつかるような音だ。この部屋の回りで聞こえる。
そういえばこの部屋の周りに結界が張られていると言っていたろうか。誰かが結界を壊そうとしているのかもしれない。一体誰が?
イルカはとりあえず軽く上にものを羽織ると玄関へと向かった。

「あの、どなたですか?」

ドアの前で言うと騒音はぴたりと止んだ。

「アスマだ。その声はイルカだな?ここを開けてくれ、緊急事態だ。」

イルカは慌てて玄関の戸を開けた。目の前に見慣れた巨体がタバコを加えて立っていた。
アスマはイルカを見てぎょっとしたようだが、ぽりぽりと頭を掻くと深くため息をついた。

「あいつ、よっぽど腹空かしてたみてえだな。がつがつ食い散らかしていきやがって。イルカ、頼むからその姿で外には出てくれるなよ。いや、今は緊急の用だからいいんだがよ。」

アスマの言葉にきょとんとしていたイルカだったが、意味が分かると顔を真っ赤にした。もっと厚着すればよかった。今の状態はズボンにTシャツを着ただけの格好だ。分かる人にはわかってしまうだろう。

「照れるのは後だ。イルカ、カカシのやろうはもう行っちまったんだな?」

それを聞いてイルカは真っ青になった。そうだ、なにをぼんやりとしているんだ、あの人は行ってしまったのに。早く追いかけないと。
このままで良い訳が無いのだ。誰かの犠牲の上に成り立つ平和など、しかも相手はイルカを困らせるためだけにカカシを寄こせと言ってきたのだ。そんなことがまかり通っていいはずがない。火影様だろうが上層部だろうが反対を押し切ってでもカカシを助けに行く。
イルカは走り出そうとした。だがアスマに腕をとられて身動きを封じられた。

「おいおいそんな格好でどこに行くってんだ。まだ薬も抜けてねえような奴がほいほい行ける場所じゃあねえだろうが。」

「離してください、カカシ先生が、早く行って助けないとっ。」

「だからそのことで緊急事態だっつってんのに、少しは落ち着け。状況を説明するからよ。」

アスマはすばやく印を結ぶと軽い結界を作った。手っ取り早く他言無用の話をするときに重宝される術だ。

「俺はこれからカカシ奪還任務に就く。」

イルカは目を見開いた。決議が覆されたのか。

「上層部は今でもカカシ人身御供派なんだが、火影様の一任で取りやめとなったんだ。ついさっき決まったことだ。俺はそれを伝えに来たんだ。式じゃこの結界は破れねぇからな。だが来てみればイルカしかいないと。もしもカカシがすでに森へ向かったのならば俺は即カカシ奪還任務に移行することになってる。最悪のケースになっちまったな。イルカはこの家でも自分の家でもなんでもいいから待機だ、いいな。その体じゃあ満足に移動すらできねぇだろう。なあに、すぐに連れ戻してくるからよ。」

アスマはそれだけ言うと結界を解いた。

「用はそれだけだ。まだ薬が抜けきってねぇようだから安静にしとけ。」

そう言うとアスマはすぐさま行ってしまった。これから人を集めて森へと行くのだろう。
確かに自分は中忍で、しかも今はまったく役に立たない状態かもしれないが、当事者であることにはかわりないのだ。カカシにちゃんと会って言いたいこともある。
ふと、風が一切止んだ。空気の揺れがまるでない、なんだこの感じ。
イルカは微動だにせず辺りをうかがった。景色も何も変わっていないと言うのにどうしてこんなにも違和感があるのか。まるで別世界に迷い込んだようだ。

「イルカ。」

名を呼ばれて振り返るとそこに一人の僧が立っていた。いつからそこにいたのか、まったく気づかなかった。忍びの心得のある僧なのか?この不可思議な雰囲気もこの僧のせいなのか?
イルカは警戒心をあらわにして携帯していたクナイに手を伸ばした。

「ひどいな、僕を忘れたの?」

僧が深くかぶっていた傘を外した。まだ若い、自分と同じか少し上だろうか?痩せた若者の僧だった。しかし自分に僧の知り合いはいない。だが今、確かに自分の名を呼ばれた。イルカの知らぬところで僧になった昔なじみなのか?

「誰だ?」

イルカの不思議そうな言葉に僧は苦笑して言った。

「約束を守りに来たよ。一緒に助けに行こう、ヒスイを。」