4. 一思案(ひとしあん)

 

その後、あの森には鳥居が立てられ、注連縄で立ち入りを硬く禁止する結界が張られた。そんなものがなくとも誰も近寄ろうとはしなかった。
ヒスイの一件以来、その森は魔の森としてますます恐れられるようになったのだ。
噂は尾ひれ背ひれを付け肥大していった。人を食らう森だとか、呪われる森だとか、信憑性のない噂話だけが伝説化していく。
そして、ヒスイの真実を知っているイルカとウスビは年に一回、森の中に入って採取する取り決めとなった。
だがあれ以来、里によりつかなくなったウスビは戦場で死に、今ではイルカがこの任を受けおっている。もうずっとそうやってきた。火影の代が変わり、時代が変わっても行われる恒例行事。
かつてのスリーマンセル仲間と会うだけなのだからそう緊張することではないと頭でわかっいても、かつての罪悪感が自分を襲い今でも心は悲鳴を上げる。
かつて自分を救ってくれた恩人でさえある、彼女をまるで悪鬼のように考えてしまう自分、その自分こそが最も憎まれるべき存在なのだと思うほどに疲弊していくこの胸中を、誰にも悟られてはいけない。
イルカは罪の意識に苛まれながら森を訪れる。花の咲き乱れる森の中を。
そして今日も、鳥居の中に入ってすぐに彼女は現れた。あの頃のままの姿で、もう何年もずっと同じその姿。自分はもうすぐ三十路を迎えるというのに彼女はいまだ少女のままだ。

イルカ

あの頃と違っているのはこの囁くような小さな声だけだろうか。すっと通る大きな声で自分たちをからかい叱咤していたその声は、今では小さな小さな声となって微かに聞こえるだけだ。きっと、そういう声しか出してはいけない取り決めがあるのだろう。

「ヒスイ、これお土産。」

イルカは懐から大事そうに包みを取り出した。包みの中にはつげ櫛と紅と着物、菓子、色の綺麗な画集、人形。およそ普通の少女が好むもの、そして白い封筒が一通。

そんなものはいらないわ、捨てて。

ヒスイはイルカの持っていた包みを見えない手で払い落とした。包みは苔むした地面に落ちて散らばった。
イルカは苦笑を浮かべてそれらを拾い上げていく。そして最後に白い封筒を拾った。
差出人は彼女の両親だ。だが、実際はこの手紙は両親が書いたものではない。森に取り込まれたと火影から聞いた両親は、娘は英雄として死んだものとしていただきたいと断固として真実を受け入れようとしなかった。
彼女の家は代々エリート忍者の家として発展してきた。彼女の両親もまた然りだ。忍びが任務以外で死ぬなどありえない、死ぬのは激戦区、殉死こそが美とされてきた家だ。
だが、ヒスイの請け負った任務は失敗、自分も森に取り込まれ異形の存在と成り果てた娘などはもういらないということなのだろうと3代目は悲しそうに言っていた。
だがそのことを彼女に知らせるにはあまりにも酷だ。そこで両親の筆跡を真似てイルカは手紙を書き続けた。
だが彼女はその手紙を一度として受け取ろうとはしなかった。もしかしたら知っているのかもしれない。この手紙がまがい物だということを。
同じようにイルカの持ってくるどんな土産にも手を付けようとはしなかった。
一度ウスビが彼女の元を訪れた年があったはずだか、その時はどうしたのだろうか。彼女だけが知っているだろうがなんとなく聞きづらい。
イルカは少し薄汚れてしまった土産を元通りに包むと荷物の中にしまった。無理に置いていっても来年にその朽ちた姿を見るだけだ。その無惨な姿を見て悲しく思うよりは持ち帰ったほうがいい。
イルカはまた無駄になったな、と小さく笑った。