6. 影踏み

 

「任務帰りですか?」

イルカは勤めて平静に、いつものように笑顔を向けてカカシに問うた。カカシも微笑みを保ったまま応える。

「はい、村人全員殺害の任務を滞りなく遂行してきました。」

イルカは一瞬言葉を失くした。その存在に気取られて判らなかったが、カカシの体のあちこちに血がついている。まだ新しいのか滴る血が木々の葉に落ちる。

「惨殺してこいって言うんでそりゃあもう惨く、非道なまでに殺してきました。ま、そういう任務だったんでね。かく言うイルカ先生も火影様の命ですか?この森は禁忌、いや、魔の森だ。普通は立ち入り禁止どころ近づく者すらいないと言うのに。」

笑っているが言葉の端々に小さな棘を感じる。

「イルカ先生?」

いつの間に移動したのか、カカシがすぐ側まで来ていた。イルカは体を強張らせる。

「どうしたんですイルカ先生、血塗れの忍びは恐ろしい?」

イルカはカカシを睨みつけた。

「俺だって忍びだっ。血など恐れない。」

「そうですか、それは頼もしい。」

近い距離のまま、カカシは去ろうとしない。イルカとて早く薬草を届けねばならないのに離れることができない。逃げなくてはならないのに、この男から一刻も早くこの場から。

「いい月夜ですよね、イルカ先生。」

カカシは空を見上げている。白い月の光りは2人の場所も明るく照らす。

「影踏みしましょうか。この月夜だ、できないことはないですよね。」

「なに、言ってるんですか。そんな子供みたいなこと誰が、」

「おや、その子供と日々アカデミーで接しているイルカ先生にあるまじき言葉ですね。先生が子供心を忘れるなんて嘆かわしい。」

屁理屈だ、そんなのは。だが、この凶悪なまでの男の誘惑に勝てない。どうして俺は、こんなにも弱いんだ。

「沈黙を了承と受け取ります。では俺が鬼です、イルカ先生は逃げてくださいね。」

イルカは走り出した。こんなの真に受けなくたって良かったんだ。大体今は任務中だ、こんな遊びに呆けている場合ではないのに。
言うことを聞く必要もない戯言に付き合っている自分が酷く滑稽だ。嘲笑すら浮かぶ。
カカシの追ってくる気配はない。中忍ごときが上忍に敵うはずがないと言うのに。イルカは跳躍の足に力をこめる。このまま里まで逃げ切ればいいのだ。どうせこ道は里へ一直線に繋がる道だ。さっさと里に帰ればいい、カカシのことなぞ放っておいて。

「影ふんだ、と。」

背後でカカシの声がしたと思った瞬間、イルカは両手を拘束されて木に背をたたき付けられた。籠はいつの間にか地面に落ちている。蓋のある籠だったので中身は零れていないが、あまりの暴挙にイルカは怒りに顔を歪めた。

「俺は任務中なんです、離してください。」

「影を踏んだ鬼の勝ちです。鬼の言うことは聞いてくれないと困りますよ。」

そんなルールなど聞いたことない。

「何を勝手なことを、」

「そうです、俺は本来勝手気ままな男なんですよイルカ先生。例えあんたが俺を拒んでもね。」

カカシはそう言って唐突にイルカに深い口付けを落とした。
イルカはもがいて暴れて、だがやがて、それでもびくともしないカカシの体に抵抗することもしなくって、樹木に背を預けたままカカシの貪るような口付けに身を委ねた。
微かに開けた目は眩いばかりの月を直視するには耐えられず横に逸らした。
この白い光の下で、酷く背徳的なことをしているような気分になる。相手は男で、自分も男で、任務中だというのにこんなことして。
ふと、口の中に微かな血の味が染み込んで来た。もしかしたらカカシの血塗れは返り血ではなかった?イルカは最初とは違う意味でその身をはがそうした。
だが今度はあっさりとカカシは自分の身から離れた。離れたと言ってもいまだ正面に立ち、お互いの体は触れ合った状況だが、顔だけは離れている。

「カカシ先生、あなた怪我を?」

「あんたも大概馬鹿ですね。人の心配ばかりして、自分の心配も少しはした方がいいですよ。最も、俺はそんなあんただから、」

カカシは一瞬優しい目をした気がした。だがすぐに背を向けた。

「もうすぐ仲間が来ます。少し無茶をしたので医療忍を呼んだんです。あんたがここにいちゃ余計な詮索を受ける。さっさと里へ帰ってください。」

「なっ、無茶って、やはり怪我を?そんな状態で鬼ごっこなどどうしてっ。」

「あんたには関係ないでしょ。さっさと行きなよ。それとも俺が去ろうか。」

怪我をしている者にこれ以上付加を与えてはいけない。イルカでもその位は分かっている。イルカは地面に落ちた籠を拾うべく降りようとした。その腕を掴んでカカシは微かな声で囁いた。

「あんたが好きだ。」

イルカは顔をくしゃっと歪ませてその手を振り払った。そして籠を拾うと里へと向かって瞬く間に駆けていってしまった。
カカシはぼんやりと木に背も垂れた。
いつまでも自分の気持ちを受け入れてくれない人、それなのに今のように期待させるかのような態度も取る。いつもいつもこうやって真摯に投げかければ逃げてゆく。
何度鬼ごっこをしても捕まえられない、童話に出てくる風の子のようだ。
意識が朦朧としていく。どうやらいつもよりも状態が悪いらしい。こんな状態で全速力で追いかけたりしたからだろう。だが追いかけずにはいられなかった。どんなに馬鹿だと言われても止められないのだ、この思いだけは。
カカシは薄れ行く意識の中で愛する人の感触だけを思い出し、微笑んだ。