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『extend a hend to …〜again〜(前編)』



 すれ違った手を――想いを
 今度こそ間違うことなく繋げよう


 虚構の夢に囚われないで
 甘やかな幻に惑わされないで
 どんなに辛い現実でもそれが本当なら逃げないで
 君達なら奇跡が起こせるから




 あやふやな記憶。出ない声。
 自分から取り上げられたのはその二つだけのはず。
 なのに全てを失ったかのような喪失感に苛まれる。
 まるで自分が自分でないような居心地の悪さ。
 鏡に映る新しい学校の制服に身を包む自分の姿に違和感を覚える。
 違う。
 何が、何処がと問われても答えられないのに。
 ため息をつくと、新しい学校に向かうべく扉を開けた。


「今日からこの真神学園で一緒に勉強する事になった転校生のコを紹介します。
 名前は―――緋勇 偲サン」
 マリアの隣に立つ少女の美しさに3−Cの全員が呑まれてしまった。
 緩く後ろで束ねてある肩より僅かに長い烏羽色の髪、それより深い艶を湛える瞳、淡い珊瑚色の唇、そして伸びやかな肢体。女性にしては高すぎるであろう身長すら、何ら彼女の美を損なうことはない。
 有り体に言えば、譬え美の神であろうとも彼女に手を加える余地など無い、完璧な美がそこに在った。
 近寄り難いほどの美貌とは裏腹に、彼女の持つ澄んだ雰囲気は親しみを感じさせ、転校初日の緊張から戸惑う様子も愛らしく、見詰めるクラスメイトの胸を突いた。
「緋勇サンは、1ヶ月ほど前に御家庭の事情で、こちらに引っ越してきたばかりなの・・・。
 それから、緋勇サンは大きな事故にあって、今は声を出すことが出来ません。
 その時のショックで、記憶の方もまだ少し混乱したままなので、わからないトコロが多くてとまどうかもしれないから、みんな、イロイロ、緋勇サンに教えてあげてね」
 こんな美しい少女がそんな不運に見舞われていると知らされると、多少の嫉妬心を持った女生徒たちすら、同情を覚え庇護心を抑えることはできなかった。
 ありがたく無い連中も含め、彼女は皆を虜にしてしまった。


「おらッ、もたもたすんなよ」
 偲の腕を掴み、力ずくで引っ張って行く。
 柄の悪い男達に囲まれ、逃げることも叶わない。
 放課後、新聞部の遠野杏子と言う同級生と話しをしていた処を攫われたのだ。間の悪いことに、言い寄る男連中から偲を護っていた蓬莱寺京一という剣道部部長は不在だった。

 連れてこられたのは人気の無い体育館裏。
「オイッ、おめェら。誰が来ないか見張ってろ」
 佐久間が舎弟に下知を飛ばす。
「そんな顔すんなよ。
 大人しくしてりゃ、たっぷり可愛がってやるぜ」
 下卑た笑いを顔に乗せ、偲の頬に手を伸ばした。
 何故自分が成す術もなくこんな男達の言いなりならなければならないのだろうか。
 こんなのは違う。根拠の無い、だが強い想いが偲の中に渦巻いていた。
 正面から佐久間を見据えると、近づいてきた手を払い除けた。
「ホォ…、思ったより気が強えじゃねえか。
 楽しめそうだな」
 暗い欲望を隠そうともせず、偲の細い腰に腕を絡めると強引に抱き寄せた。
 必死にもがくが押さえ込まれ抵抗すら封じられる。
 佐久間は偲の唇を求めるが、自分より背が高い彼女が精一杯身を反らせたため、諦め代わりに白く細い首筋に唇を這わそうとした。
「オイオイッ―――、ちょっと転校生をからかうにしちゃァ、度が過ぎてるぜ」
 瞬間、佐久間の身体がすくんだ。
「ったく、こう足元がうるさくちゃ、オチオチ部活サボって昼寝も出来やしねェ…よっと」
 思いもかけない場所―――樹の上から京一が身軽に飛び降りてきた。
 素早く偲を佐久間から助け出すと、自分の後ろに庇う。
 偲の目の前が京一の広い背で一杯になる。
 縋りつきたかったのに、出来なかった。そうじゃない、と自分の内から聞こえる声に阻まれ、そのまま立ち尽くすしかなかった。
「てめェ、蓬莱寺…。邪魔する気か」
 佐久間の威嚇を京一は笑って流した。
「美少女が襲われてんだ。見過ごすわけにはいかねェなァ」
「チッ…、まあいい。俺は前からてめェのそのスカした面が気に入らなかったんだ」
「へェ、奇遇だなァ。実は、俺も前からてめェのその不細工なツラが気に入らなかったんだよ」
「貴ッ様ァ…!うっ…」
 ご主人様大事とばかりにでしゃばってきた手下を難なく叩きのめすと、京一は佐久間と対峙する。
 この時、残りの手下が京一の背後から、メリケンサックで襲いかかった。
 偲は京一を護るため、不良の前に立ちはだかった。
 何の迷いもなく、そうするのが当たり前であるように。
 だが、自分には何の力も無い。こんなチンピラすら退けることもできない。
 それでも護りたい―――護らなければならないという気持ちを抑えられない。さっき感じた嫌悪感より強い情動が偲を突き動かした。
 とっさに京一の肩に掴まり自分の身体を盾にした。
 驚いた京一が振り向くが、間に合わない。
「そこまでだ、佐久間ッ」
 巨漢の男が手下を突き飛ばした。手下の身体は壁に激突する。
「醍醐―――!!」
 佐久間は顔を顰めた。
「そこらへんでやめとけ、佐久間……」
「もう止めて、佐久間くん…」
 醍醐と並んでクラス委員長で生徒会長だという聖女の如き美少女・美里葵の姿があった。
「佐久間…。お前の処分は後日あらためて決定する。
 今日はもう帰宅しろ。…いいなッ」
「…チッ。行くぞ、てめェらッ」
 佐久間は素直に醍醐に従った。というより本命である美里に自分の卑劣な行い知られてしまい引き下がるしかなかったのだろう。それに、醍醐にも京一にも敵わない自分がこれ以上ここに留まっても醜態をさらすだけなのはわかっているのだ。
「まったく…、仕様のない奴だ」
 醍醐がため息をつく。
「もう、大丈夫だぜ。緋勇」
 自分の背中にしがみつく少女に京一は声をかけた。
 気が抜けてフラつく偲を苦笑しながら支えてやる。
「転校生―――緋勇といったか。レスリング部の部員がいいがかりをつけたようですまなかったな。
 だが、女の子なんだから無茶をしない方がいい。
 今だって、俺が間に合わなければ大怪我をするところだったんだぞ。
 わかったな?」
 醍醐に諭され、頷く。
 そう言われるのが悲しかった。尤もな言い分なのに、実際自分が何の役にも立たないんだと認めるのが辛かった。
 シュンとなってしまった偲の頭を京一がくしゃくしゃと撫でた。
「助かったぜ。ありがとな」
 足手纏いにしかなっていないのに、そう自分を気遣ってくれるの京一の優しさが嬉しくて哀しい。
「おーーい!!醍醐クン。京一。
 緋勇サン大丈夫ーー」
 息せき切って元気者の桜井小蒔が駆けつけて来た。
「おう、遅いぜ。美少年。
 美少女は無事だ」
「京一!誰が美少年だ…と良かったァ。緋勇サン無事だったんだね。
 ったく、佐久間クンも高望みしすぎだよ。葵の次は緋勇サンに目をつけるなんてさ」
「小蒔ったら…なにいってるの。
 緋勇さんが困ってるじゃない」
 確かに偲は、小首を傾げて困っている。が、たしなめた葵自身も頬を僅かに紅くしていた。
「なにってホントのコトだよ。
二人とも美人なんだもん。皆狙ってるんだよ」
「確かにな。佐久間みたいなやり方は論外としても、どんなちょっかいをかけられるか分からんからな。二人とも気を付けるにこしたことはないぞ」
 照れ恥ずかしがっている美少女達に追い討ちをかける小蒔と醍醐。
「もうッ、醍醐くん」
「はははははッ。
 まァ、いずれにせよ、よく来たな。
 ようこそ、我が・・・、真神学園へ」
「なんの変哲もねェ、平凡なガッコだけどよ、まッ、住めば都っていうしな」
 そうだろうか。二人の説明に納得できない。此処は―――真神学園とはそんな処ではないはずだ。またも、違和感が偲を襲う。
「転校そうそうヘンな目に遭ってイヤになっちまったか?」
 偲の様子がおかしいのに気付いた京一が気遣う。
 慌ててそうじゃないと言おうとして口を動かすが音を伴わない。
 自分が声を失っていることを失念していた。
「いいさ。分かったぜ。緋勇」
 偲の言いたい事を察した京一が笑って肩を叩く。
 それでも自分の想いを伝えたくて、偲は京一の後ろに回ると背中に指で文字を綴った。

“た・す・け・て・く・れ・て・あ・り・が・と・う”

 破顔する京一。
「なに二人で内緒話してんの?」
 小蒔が割り込んできた。
 何となく教えたくなくて話を逸らす。
「いいじゃねェか。
 それより、どうせだから緋勇の歓迎会もかねて―――、」
「ラーメン食べに行こうッ!」
 すかさず小蒔が先取りする。
「おッ、わかってんじゃねェかッ」
 京一がおだてると小蒔も笑顔になった。
「えへへッ」
 二人のじゃれ合いをいつも通りと安心して見守る偲。
 安堵する自分をおかしいと思う間もなく、皆と一緒にラーメン屋を目指すのだった。


 『此処は貴様に相応しき世界。忘却に身を委ね、平穏な日々に埋もれるがいい』


 あの真神の蓬莱寺に彼女が出来た!!
 モテるのを良い事にナンパをしまくり遊んでいるが、特定の彼女を作ろうとしなかった蓬莱寺に彼女が出来た。それも物凄い美少女らしい。
 それが噂を呼んで、校内のみならず近隣の高校からも偲を見学に来る生徒が後を絶たない。不味いことに偲を目にした者は、彼女の美しさに魅了されてしまい、その場で交際を申し込む輩までいる始末だ。京一の身も心も休まる暇がない。
 実際、京一と偲が付き合っているのかといえば、そうとも言えるし、そうでないとも言える。
 よく一緒にいるし仲の良いのも事実だが、どちらかと言えば偲に言い寄る男達から京一が護っているというのが正解だろう。図式的には大名の姫君とそれを護る雇われ浪人(イメージ的に若様とは誰も言わない:アン子談)といった感じだ。
 こういう図式になるのも無理はない。
 偲は本当にほっとけないのだ。
 一番最初は、転校初日のラーメン屋に行く途中。槍使い雨紋とその友人唐栖に会った時。
 偲は二人をじいっと見詰めたままその場から動かなくなった。特に唐栖を懐かしむような眼差しで見詰めていた。もしかして偲が覚えていない過去に二人と知り合いだったのではないかと雨紋達に尋ねて知らないと言う。それどころか偲の美少女っぷりに雨紋がイかれてしまい、慌てて逃げ出す羽目になった。
 次は、目黄不動でイジメられていた麗司という気弱な少年とその彼を救った藤咲いう少女に会った時。
偲はイジメられている麗司を見つけるとそのまま飛び出していったのだ。正義感の強い偲はわが身を省みず、向こう見ずとも言える行動によく出る。いつもは京一や醍醐が助太刀に駆けつけ事なきを得るが、この時は間に合わなかった。あわやと言う処で偲ごと麗司を助けたのが藤咲であった。
 藤咲は危ない真似をするなと叱ったのだが、偲の自分と麗司を見る目が初対面にも関わらず、まるで既知の友人でも見るかのような親しみを込められているのに気圧されて、彼女の啖呵は京一に向けられた。曰く「てめえの彼女くらいしっかり護んな!!」である。
 その次は、新宿通りではぐれた時。
 人ゴミではぐれた偲を見つけたら、誰かと話していたらしく道の真ん中で立ち尽くしていた。葵や京一が驚いたのは、偲が泣いていたことだ。
 偲自身、京一に指摘されるまで自分が涙を流していたことを自覚していなかった。
 訳を聞いても首を横に振るばかりで理由はわからない。否、偲もわかっていないに違いない。ただ、彼女の瞳からは静かに涙が零れ続けていた。
 他にも醍醐の悪友という凶津に会った時も、何故か懐かしむようなどこか痛いような視線で見詰めて、凶津を面食らわせてしまったりもした。
 この他にも例を挙げればきりが無い。危なっかしいのだ。
 京一だけでなく葵達も心配で偲から目が離せなかった。
 いつも誰かが偲といて何くれとなく助けていた。
 まるで皆が偲の盾となって全ての事から護っているようだ。偲が矢面に立たなくていい様に。
 あたかも、そうするのか当然であるかの如く、自らの望みが叶ったように喜んでそうしていた。


 『此処は、願いを具現せし処。
  故に此処では貴様はすべてから護られ、望みし者も現れる』 


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