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求愛と孤独 夏目漱石「こころ」
先生とK、そしてお嬢さんが共に暮らす下宿で、互いの求愛がすれ違い、孤独を深めていく、重層的な心理描写と三部構成による謎解きを取り入れた巧みな伏線により、奥行きの深い小説世界が創り出されています。 |
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はじめに・・・限定視点の小説 ※ この文章は、昭和57年度教育研究グループ奨励事業「新教育課程における教材研究」報告書での私の原稿(V 「こころ」についての観点)に、若干の改訂を加えて収録したものです。 研究グループは3年間に数冊の報告書を出しました。また、授業用に作った資料類は、教材研究編にあります。あわせてお読みください。 |
| 目 次 1 「こころ」の読まれ方 2 お嬢さんとKと「先生」の三者関係 3 「明治の精神」と現代 |
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1 小説「こころ」の読まれ方
高校生の「こころ」読後アンケートの結果では、今後漱石の作品を読みたいと答えた者が81%.もおり、概して好感をもって読まれていることがわかる。感想文に目を通してみても、この印象は変わらない。いくつか拾ってみると、
「人間の心の奥にある邪悪なこころを見事に浮きぼりにする作品」 「最後まで自己本位的だった人間」 すなわち先生のエゴイズムを描くとする者や、 「先生は純粋な人だなあ」 と人生を考える姿に感動する者などなど、さまざまではあるが、自分の生き方に関連づけた読み方をしている者がめだった。共感という程でなくても、後半の「遺書」の部分については、多くの生徒が強い印象を受けている。 読む者の内省を促す力 「遺書」は、先生が罪を犯してゆく姿を自らの内省的な視点で捉えたものである。特に先生の人間不信の原因であった「叔父の我執」・・・他者のものとして嫌悪の対象であった悪・・・を、自らのうちに見い出すという筋立ては、読む者に自已の心をのぞきこませるに充分である。 「こころ」は内省を深めるにふさわしい書である。この内省的視点の獲得を「こころ」を読むことの目標としてあげるべきだろう。 登場人物への疑念 さて、感想文で挙げられる疑問は、次の2点に集中していた。 1つは、「先生(あるいはK)が自殺したのは何故か」についてであり、 1つは、「先生は奥さんに全てを打ち明けなかったのは何故か」である。 特に後者の疑問から、 「先生は本当は奥さんを愛していなかった。」「妻に対する裏切り」 「夫婦というものは互いに許しあうものでは」 「自分の罪を妻にうちあけないのは結局妻を愛していないからだ。」 「愛しているといっておきながら、自分を告白しない先生は偽善者だ、、」 などと手厳しく、作中人物である先生に不信を抱き、小説の文学的読みとりは阻げられているように思う。 確かに妻への告白を最後まで拒む先生の態度は不自然に思われるが、むしろこの不自然さが小説「こころ」の世界を理解する手掛りになっていると考える。 |
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2 お嬢さんとKと「先生」の三者関係
(1) 小説「こころ」への批判 先の疑問は、評論に見られる諸家の「こころ」批判と通じるものである。 例えば、漱石の弟子の小宮豊隆は一番早い時期(大正四年)に、「こころ」を批判した。 ドフトエフスキーの「罪と罰」の中で、ラスコリニコフがソーニャに罪を告白したことを持ち出して、罪の意識を持った先生が妻に全てを打ち明けない点を問題視し、「人情の自然ではない」と攻撃している。(文献28)それ以来、「こころ」の意義をめぐっての批判も、特にこの2点を中心になされてきたと言える。 それは、「先生」の我執の分析に捉われることがあまりに多かった「こころ」研究史と歩を一にしているように思われる。 これらの疑問の解明には、「先生」のみならず、K、お嬢さんの三者を含めた研究が必要であった。その意味で、今回の我々の研究会のきっかけとなった作田啓一の「個人主義の運命」(文献39)で述べられた、「三者関係」による「こころ」分析は、非常に示唆的であった。 また、相原和邦氏のお嬢さんの内面に切り込んだ論文(文献1)や、秋山公男氏のお嬢さんとKの我執についての指摘は、「こころ」研究に新たに視点を開いたものと考える。(文献4) (2) お嬢さんの「こころ」 確かに、「こころ」を一読するとお嬢さんの存在は非常に小さく感じられる。上(第1部)においては、大学生の「私」と「先生」の存在によって、下(第3部 先生の遺書)では、「先生」とKによって、お嬢さんの見かけ上の位置は非常に低い。しかしこの印象は果して正しいのだろうか。 ここでは、秋山公男氏の所説を参考にしつつ、お嬢さん、Kを中心に先生の遺書への見方を述べたい。 但しその際に次の2点を注意しなければならない。 1つは、お嬢さんが自分の意志を持った女性として描かれているという事であり、 1つは、先生の遺書は妻(お嬢さん)をかばうため、故意に不明確な表現をしていることである。 作者の真意を汲むための努力を払う事で、お嬢さんの姿が見えてくる。(資料4.「お嬢さんの人物像」(1)〜(4)参照)
お嬢さんの恋 「先生」が下宿した当初から、お嬢さんは「先生」に好意を抱いていた。(下、13) 下宿の中でうち解けてくるに従って、「先生」は郷里の叔父との問題から生まれた人間不信が和らいでくるが、一方で、奥さんが、お嬢さんと自分との結婚を画策しているのではないかという猜疑心が生まれ、(下、15〜16) 結婚の申し込みができない。 三人で日本橋に着物を買いに行ったのを同級生に見られ、「いつ妻をもらったか、大変美人だ。」と言われた話を、「先生」は、下宿で披露する。お嬢さんは「あんまりだわ。」と笑い、奥さんは「定めしご迷惑でしょう。」と水を向けられる。 結婚を申し込む絶好の機会なのだが、「先生」は踏み出せない。結婚についての一般的な話をしている間に、お嬢さんは、だまって一昨日買った反物を膝の上へ置いて眺めている。明らかに結婚の申し込みを待っているのである。(下、17〜18) こうした時に、「先生」はKを下宿に引き取る。そして、奥さんやお嬢さんにKの話し相手になってやってくれと頼む。(下、25) お嬢さんの笑いと技巧 お嬢さんは、なかなか自分に向かって動き出さない一方で、偶然の出来事から「先生」が、自分とKを嫉妬しはじめていることに気づき笑う。さらに「変な人」と言う。Kと話してくれと「先生」に頼まれた通りにしたのにという思いからかもしれない。(下、26〜27) その後、お嬢さんは「先生」の嫉妬を通じてしか「先生」の愛情を確認することができなかった。房州旅行の後、お嬢さんは「先生」にだけわかるような心遣いをするが、(下、32) そのうちにお嬢さんは、だんだんKに親しむ態度を見せるようになっていく。(下、32)さらには、Kと二人で歩いているのを「先生」に見とがめられて、「どこへ行ったかあててみろ」とまで言い放つ。 遺書を書いている「先生」は、「Kに対する嫉妬」を否定しない、という巧妙な言いまわしで、「お嬢さんの技巧」を暗示している。(下、34) お嬢さんは「先生」への思いを結実させる過程で、いたずらにKのこころを揺さぶったのである。無自覚であるとはいえ、無実ではあり得ない。 (3) Kの「こころ」 「向上」を合い言葉として Kが養家や実家とのトラブルから神経衰弱となったのを見かねて、「先生」は、下宿に引き取るため「Kといっしょに住んで、いっしょに向上の路を辿って行きたい」と、「彼の前に跪く事」までしている。(下、22) 明治時代の多くの青年にとって「向上」は、至上の命題でもあった。 ところが、こうした気持ちにKは気づかない。Kにしてみれば、「向上」を目的とする「先生」に、乞われたので、下宿にやってきていると思っていた。 下宿の母娘からのあたたかいもてなしで、Kはこころの平安を取り戻してくるが、「先生」の行動は、「向上の路」をたどりたいという当初の言葉と違っていた。 このため、二人で出かけた房州旅行で、Kは「精神的に向上心のないものは馬鹿だといって、何だか私をさも軽薄もののようにやり込める」(下、30) 「先生」はこれに対し「人間らしい」という言葉で反論するが、Kはそれを「向上」の妨げととっている。Kは、「先生」のお嬢さんへの愛情にも全く気がついていない。 Kは、「先生」に頼まれた女性二人のはからいにより、精神的な落ち着きを取り戻してくる。そして、お嬢さんの接近により、はかない恋情を抱く。(資料4.「お嬢さんの人物像」(3)参照) 克己心に富み、自らの勉学のためには養父母を裏切る程の向上心を持っていたKが、大学の授業を早く切りあげてお嬢さんと談笑し(下、32)、一緒に外出するのも恋情ゆえであろうし、「先生」の質問にたび重なる嘘で答えること(同上(3)参照)も恋ゆえである。 歌留多の際に、お嬢さんが積極的に加勢したことが、Kの恋の告白に結びついていく。(下、35) 告白と断念 Kは恋情の高まりを突然「先生」に告白する。 その後、Kは、図書館で相談を持ちかける。それは、「先生」のお嬢さんへの愛に気づいていない以上、これまで「恋愛」を肯定していた「先生」の同意を期待してのものだった。Kは、苦しさのあまり、内心自分の恋の承認を求めていた。(下、40) 「先生」は、恋に苦しむKに、「精神的に向上心のない者は、馬鹿だ。」(下、41)、と「Kの前に横たわる恋の行く手をふさごう」と我執の言葉を放つ。 間をおいて二度繰り返される間にKは何を考えたのか。 「僕は馬鹿だ。」と答えるKの言葉には、以下の@〜Cなど、解釈の幅があるように思う。 @ 自らが以前、この言葉を「先生」に発したことを思い起こして。 A 自分が、恋情の肯定を期待していたことに気づいて。 B 「先生」もお嬢さんを好きであり、告白し相談したことを悔いて。う C 「先生」の恋に気付かなかった自分の迂闊さに気づいて。 などである。自殺に至るまでの過程で、Kはこうしたことを気づいていったと考える。 ここで、Kは「もうその話は止めよう」と言う。「彼の眼にも彼の言葉にも変に悲痛なところがあり」さらに、「止めてくれ」と今度は頼むようにいい直す。覚悟を聞かれて、「覚悟ならないこともない」と「夢の中の言葉のよう」に言う。(下、42) 「変に悲痛なところ」とは、当時の「先生」には、理解できないKの心の動きである。 「先生」はここでも、Kに残酷な問いを投げかける。登場人物が、他者のこころを顧慮せず傷つける行動が、この場面でも繰り返される。 「覚悟」をめぐって Kの「覚悟」のついては、以下の3つの解釈がある。 @ 恋を断念する。 A 恋に向かって突進する。 B 自殺を決意する。 「先生」は、当初@と理解し、安心し「穏やかな眠り」についたが、夜中に声を掛けられ翌朝のKの言動を、「何だか変」とかんじる。(下、43) 「先生」は、Kの「覚悟」の意味をAではないかと疑い出す。この誤解が、「先生」にお嬢さんへの結婚申し込みを決意させ、結果的にKを孤独に追いやっていく。 Kの真意については、@Bの両説を中心に解釈が分かれるが、 「すべての疑惑、煩悶、懊悩、を一度に解決する最後の手段」であり、「覚悟の内容を公平に見廻したらば、まだよかったかも知れません。悲しい事に私は片眼でした。」(下、44)の部分に注目すれば、Kの「覚悟」が、恋を断念する苦しさに悩み、自殺を決意したととれる。 「先生」が、こうしたKのこころの苦しみに気づくのは、Kが自殺した後の事となる。 末期の目 Kは、自分が恋を断念したことで、恋の告白以来、共に眠れない夜を過ごしていた「先生」が安眠していること、つまり、「先生」が、Kの苦しみに何の顧慮も払っていないことに気づく。(下、43) Kは、こうして「先生」のお嬢さんへの恋に気づかずにはいられない。 しかし、同時に、これまで修行の名のもとに、友人である「先生」の気持ちも顧慮せず、下宿に庇護されてきたという自覚もなかった己の無様さに気づかずにはおれない。 さらには、恩のある「先生」を、自分の一方的な恋の告白から追いつめ、結果的に我執の爪をむき出させた経過に思い至る。 Kは、死を覚悟した目をもつことで、ようやく周りの人間への目を見開きはじめる。 ・いたわりの言葉 「彼はいつもの通り机に向って書見をしていました。彼はいつもの通り書物から眼を放して、私を見ました。しかし彼はいつもの通り今帰ったのかとはいいませんでした。彼は「病気はもう癒いのか、医者へでも行ったのか」と聞きました。」(下、46) 私の健康を気づかう人間性の発露の瞬間だった。しかし、「先生」は己の面子にこだわったため、意志疎通の機会は失われる。 ・お嬢さんと「先生」の結婚に気づくK 「先生」が結婚の申し込みをした日の夕飯の際に、お嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓に並ばない。奥さんは「大方きまりが悪いのだろう」といって、ちよっと私の顔を見る。Kはなお不思議そうに、「なんできまりが悪いのか」と聞くと、奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るといった場面である。(下、46) Kは、「先生」と奥さん、お嬢さんとの間に何か関係が生まれたことに気づく。 さらに、以前から待ちかねた結婚が決まったことで、奥さんやお嬢さんの態度が変わってくる。特に、「先生」に対する、お嬢さんの挙止動作は、「それ以来ことに目立つように思えた」のであり、同じ家に同居し、お嬢さんに恋していたKに分からないはずもない。(下、47) ・「最も落ち着いた驚き」と自己認識の変化 奥さん(お嬢さんの母)から、「先生」とお嬢さんの結婚の話を聞き、「Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きをもって迎え」る。Kはすでに、奥さんやお嬢さんの言動から予想していたのだろう。 また、奥さんの「あなたも喜んで下さい」という言葉には、微笑を洩らしながら、「おめでとうございます」と言う。また、「結婚はいつですか」と聞き、「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」と言う。(下、47) 以前には、お金のことなど全く意に介しなかったKは、金銭について自己がいかに無力か、お嬢さんの結婚の選択肢とならないかをはっきり認識している。 自分が恋心を寄せたお嬢さんも、またその母も、「先生」との結婚を喜び、自分の苦しみに共感してくれる人はいない。淋しさからいっそう死に傾斜していく。 ・「もっとはやく死ぬべきであった」とは、 自殺を決意した後も、Kはなおしばらく生き続ける。その間の体験が、Kをいっそう自殺に駆り立ててゆく。Kが死を決意した時点については、いくつかの解釈がある。 @ 「私」の下宿に引き取られる前に、 A 「私」に告白する前に、 B 「覚悟」があると言った時に、 C お嬢さんの結婚を知る前に、 などである。 本論では、先に述べたようにBの立場をとる。 自殺を「覚悟」した時点では、自らの信条に反した自己処罰という動機が強かった。しかし、その後、生きながらえ、周囲の人間に目を見開くにつれ、自分には一顧の配慮も払われなくなっていく過程を知る。「先生」やお嬢さんの、こうした姿を見なければよかったという後悔に満ちている。 Kがこころを研ぎ澄まし、孤独の淋しさから自殺へと傾斜していくのに対して、「先生」は、自らの我執ゆえにKの心を理解しえない。「先生」が一切の真相を知るのはKの自殺の後である。 (4)「先生」の「こころ」 Kと「先生」の我執と孤絶 Kと「先生」は自殺に至る過程が「同じ道」を辿っている。 自已のエゴイズムによって他者が傷ついて初めて、自己の罪を自覚する。しかし、その時には既に他者との回路は閉ざされた後である。 こうした意志疎通の断絶を象徴的に表すのが「さびしさ」である。 この語は、「私の個人主義」で「個人主義は淋しいのです」と言及されたように、単なる心情表現ではなく個人の絶対的孤独の状態を表すと思われ、この言葉を背負うことで、Kと先生は各々自殺へ歩んでゆく。 「先生」が妻に真相を打ち明けないのは? 「先生」は、自らに贖罪の厳しい道を課すがゆえに、事の真相を自分の妻となった「お嬢さん」に話せない。妻にKと自分のいきさつを懺悔することは、とりも直さず、無自覚であったとはいえ、Kの心をいたづらに動かし、「黒い長い髪で縛」り、自分を「恋は罪悪」(上、13)と考えさせるようになった妻の過去の行為を責めることになるからだ。
「人間の罪」(下、54)を感じる先生は、自分の傍らにいて何も知らない奥さんの罪をも引きかぶるつもりであったのだろう。 小説「こころ」の最後には、「妻がおのれの過去に持つ記憶をなるべく純白に保存して保存してやりたいのが、私の唯一の希望」とある。「おのれの過去」の意味は、以上から明らかである。 自己不信・人間不信の苦しみを味わっている「先生」にとって、奥さんには、自己の行動によって他者が傷ついたという事実を気づかせない事が、最後の思いやりであった。 |
| 3「明治の精神」と現代 倫理的自己処罰 Kも「先生」も等しく我執の自覚から自己不信に向かうが、自殺に至るためには、もう一つの大きな契機を必要としていた。端的にいってそれは、倫理的自己処罰であり、その理解には作品の背後にある大きな時代の流れの把握が必要となる。 「こころ」という作品の舞台は、「自由と独立とおのれに充ちた現代」(上、14 P41)である。その背景の中で、近代的な個人主義・自由を獲得した人間が、個人主義の裏面である自らのエゴイズムを自覚し、それゆえ人間不信に陥らざるを得ない姿が描かれた。遺書を書く時点での「先生」は決して「自由と独立とおのれ」の時代を肯定してはいない。反対にその帰結を自らの上に見据えている。 自己の罪を自決によって処断する「先生」の行動はむしろ「前近代」の武士の道徳観に近い。個人の我執ヘの断罪という目的自体は近代的でありながら、それを罰する基準は極めて倫理的かつ前近代的である。そうした矛盾を自己の内に持つ「明治時代」に特有の人物としての「先生」のありようが示されるのである。 この厳しい倫理観は、自由と独立を謳歌する大正の世代には失われてしまうのであり、明治人たる「先生」が、大正時代の申し子である「私」に自決の理由について、言葉を尽くしながら説明し得なかった部分である(下.56・P280) おのれに充ちた時代への警鐘 しかし伝わらないものがあることを承知の上で、「先生」が「私」に遺書を書くことの意味は、「おのれに充ちた」時代への警鐘に他ならない。 そして、読者である我々が「先生」の遺書を読む時に、いつのまにか「私」と同じ位置に立っているという小説の構成上からいえぱ、「先生」が教訓を託す相手は、まさに「自由と独立とおのれ」の時代に生きる我々読者自身である。 漱石の伝えたい思いや、近代批判は、決して過去のものではなく、現代にも充分通用し、我々に迫ってくるといえる。 |
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参 考 小説「こころ」本文より
上 19 先生の帰りを待ちながら私と奥さん(お嬢さん)との会話 「実は私すこし思いあたる事があるんですけれども……」 「先生がああいう風になった原因についてですか」 「ええ。もしそれが源因だとすれば、私の責任だけはなくなるんだから、それだけでも私大変楽になれるんですが、……」 「どんな事ですか」 奥さんはいい渋って膝の上に置いた自分の手を眺めていた。 「あなた判断して下すって。いうから」 「私にできる判断ならやります」 「みんなはいえないのよ。みんないうと叱られるから。叱られないところだけよ」 私は緊張して唾液を呑み込んだ。 「先生がまだ大学にいる時分、大変仲の好いお友達が一人あったのよ。その方がちようど卒業する少し前に死んだんです。急に死んだんです」 奥さんは私の耳に私語くような小さな声で、「実は変死したんです」といった。 (中略) 上 20 先生の帰宅後 (中略) 先生はむしろ機嫌がよかった。しかし奥さんの調子はさらによかった。今しがた奥さんの美しい眼のうちに溜った涙の光と、それから黒い眉毛の根に寄せられた八の字を記憶していた私は、その変化を異常なものとして注意深く眺めた。もしそれが詐りでなかったならば、(実際それは詐りとは思えなかったが)、今までの奥さんの訴えは感傷《センチメント》を玩ぶためにとくに私を相手に拵えた、徒らな女性の遊戯と取れない事もなかった。もっともその時の私には奥さんをそれほど批評的に見る気は起らなかった。 下 13 子どもではないお嬢さん 「時たまお嬢さん一人で、用があって私の室へはいったついでに、そこに坐って話し込むような場合もその内に出て来ました。そういう時には、私の心が妙に不安に冒されて来るのです。そうして若い女とただ差向いで坐っているのが不安なのだとばかりは思えませんでした。私は何だかそわそわし出すのです。自分で自分を裏切るような不自然な態度が私を苦しめるのです。しかし相手の方はかえって平気でした。これが琴をさらうのに声さえ碌に出せなかったのあの女かしらと疑われるくらい、恥ずかしがらないのです。あまり長くなるので、茶の間から母に呼ばれても、「はい」と返事をするだけで、容易に腰を上げない事さえありました。それでいてお嬢さんは決して子供ではなかったのです。私の眼にはよくそれが解っていました。よく解るように振舞って見せる痕迹さえ明らかでした。」 下 15 身寄りを話す。奥さんへの猜疑 「私はとうとう何もかも話してしまいました。私は二度と国へは帰らない。帰っても何にもない、あるのはただ父と母の墓ばかりだと告げた時、奥さんは大変感動したらしい様子を見せました。お嬢さんは泣きました。私は話して好い事をしたと思いました。私は嬉しかったのです。 私のすべてを聞いた奥さんは、はたして自分の直覚が的中したといわないばかりの顔をし出しました。それからは私を自分の親戚に当る若いものか何かを取り扱うように待遇するのです。私は腹も立ちませんでした。むしろ愉快に感じたくらいです。ところがそのうちに私の猜疑心がまた起って来ました。 私が奥さんを疑り始めたのは、ごく些細な事からでした。しかしその些細な事を重ねて行くうちに、疑惑は段々と根を張って来ます。私はどういう拍子かふと奥さんが、叔父と同じような意味で、お嬢さんを私に接近させようと力めるのではないかと考え出したのです。すると今まで親切に見えた人が、急に狡滑な策略家として私の眼に映じて来たのです。私は苦々しい唇を噛みました。」 下 16 欺かれまいという決心 「私は自由な身体でした。たとい学校を中途でやめようが、またどこへ行ってどう暮らそうが、あるいはどこの何者と結婚しようが、誰とも相談する必要のない位地に立っていました。私は思い切って奥さんにお嬢さんを貰い受ける話をして見ようかという決心をした事がそれまでに何度となくありました。けれどもそのたびごとに私は躊躇して、口へはとうとう出さずにしまったのです。断られるのが恐ろしいからではありません。もし断られたら、私の運命がどう変化するか分りませんけれども、その代り今までとは方角の違った場所に立って、新しい世の中を見渡す便宜も生じて来るのですから、そのくらいの勇気は出せば出せたのです。しかし私は誘《おび》き寄せられるのが厭でした。他の手に乗るのは何よりも業腹でした。叔父に欺された私は、これから先どんな事があっても、人には欺されまいと決心したのです。」 下、17〜18 お嬢さんの着物を買ってから 「我々は夜に入って家へ帰りました。その翌日は日曜でしたから、私は終日室の中に閉じ籠っていました。月曜になって、学校へ出ると、私は朝っぱらそうそう級友の一人から からかわれました。いつ妻を迎えたのかといってわざとらしく聞かれるのです。それから私の細君は非常に美人だといって賞めるのです。私は三人連で日本橋へ出掛けたところを、その男にどこかで見られたものとみえます。」 十八 「私は宅へ帰って奥さんとお嬢さんにその話をしました。奥さんは笑いました。しかし定めて迷惑だろうといって私の顔を見ました。私はその時腹のなかで、男はこんな風にして、女から気を引いて見られるのかと思いました。奥さんの眼は充分私にそう思わせるだけの意味をもっていたのです。私はその時自分の考えている通りを直截に打ち明けてしまえば好かったかも知れません。しかし私にはもう狐疑という薩張りしない塊りがこびり付いていました。私は打ち明けようとして、ひょいと留まりました。そうして話の角度を故意に少し外らしました。(中略) 私は好い加減なところで話を切り上げて、自分の室へ帰ろうとしました。 さっきまで傍にいて、あんまりだわとか何とかいって笑ったお嬢さんは、いつの間にか向うの隅に行って、背中をこっちへ向けていました。私は立とうとして振り返った時、その後姿を見たのです。後姿だけで人間の心が読めるはずはありません。お嬢さんがこの問題についてどう考えているか、私には見当が付きませんでした。お嬢さんは戸棚を前にして坐っていました。その戸棚の一尺ばかり開いている隙間から、お嬢さんは何か引き出して膝の上へ置いて眺めているらしかったのです。私の眼はその隙間の端に、一昨日買った反物を見付け出しました。私の着物もお嬢さんのも同じ戸棚の隅に重ねてあったのです。 私が何ともいわずに席を立ち掛けると、奥さんは急に改まった調子になって、私にどう思うかと聞くのです。その聞き方は何をどう思うのかと反問しなければ解らないほど不意でした。それがお嬢さんを早く片付けた方が得策だろうかという意味だと判然した時、私はなるべく緩くらな方がいいだろうと答えました。奥さんは自分もそう思うといいました。」 下、22 Kを下宿へ引き取るため、懇願する「先生」 「最後に私はKといっしょに住んで、いっしょに向上の路を辿って行きたいと発議しました。私は彼の剛情を折り曲げるために、彼の前に跪く事をあえてしたのです。そうしてやっとの事で彼を私の家に連れて来ました。」 下、25 Kと話をするように頼む「先生」 「私は蔭へ廻って、奥さんとお嬢さんに、なるべくKと話をするように頼みました。私は彼のこれまで通って来た無言生活が彼に祟っているのだろうと信じたからです。使わない鉄が腐るように、彼の、心には錆が出ていたとしか、私には思われなかったのです。 奥さんは取り付き把のない人だといって笑っていました。お嬢さんはまたわざわざその例を挙げて私に説明して聞かせるのです。火鉢に火があるかと尋ねると、Kはないと答えるそうです。では持って来ようというと、要らないと断るそうです。寒くはないかと聞くと、寒いけれども要らないんだといったぎり応対をしないのだそうです。」 下、26〜27 笑うお嬢さん 「先生」のKへの嫉妬 「私がこごんでその靴紐を解いているうち、Kの部屋では誰の声もしませんでした。私は変に思いました。ことによると、私のかんちがいかも知れないと考えたのです。しかし私がいつもの通りKの室を抜けようとして、襖を開けると、そこに二人はちゃんと坐っていました。Kは例の通り今帰ったかといいました。お嬢さんも「お帰り」と坐ったままで挨拶しました。私には気のせいかその簡単な挨拶が少し硬いように聞こえました。どこかで自然を踏み外しているような調子として、私の鼓膜に響いたのです。私はお嬢さんに、奥さんはと尋ねました。私の質問には何の意味もありませんでした。家のうちが平常より何だかひっそりしていたから聞いて見ただけの事です。 奥さんははたして留守でした。下女も奥さんといっしよに出たのでした。だから家に残っているのは、Kとお嬢さんだけだったのです。私はちょっと首を傾けました。今まで長い間世話になっていたけれども、奥さんがお嬢さんと私だけを置き去りにして、宅を空けた例はまだなかったのですから。私は何か急用でもできたのかとお嬢さんに聞き返しました。お嬢さんはただ笑っているのです。私はこんな時に笑う女が嫌いでした」 (中略) 「 私はその卓上で奥さんからその日いつもの時刻に肴屋が来なかったので、私たちに食わせるものを買いに町へ行かなければならなかったのだという説明を聞かされました。なるほど客を置いている以上、それももっともな事だと私が考えた時、お嬢さんは私の顔を見てまた笑い出しました。しかし今度は奥さんに叱られてすぐ已めました。」 二十七 「一週間ばかりして私はまたKとお嬢さんがいっしょに話している室を通り抜けました。その時お嬢さんは私の顔を見るや否や笑い出しました。私はすぐ何がおかしいのかと聞けばよかったのでしょう。それをつい黙って自分の居間まで来てしまったのです。だからKもいつものように、今帰ったかと声を掛ける事ができなくなりました。お嬢さんはすぐ障子を開けて茶の間へ入ったようでした。 夕飯の時、お嬢さんは私を変な人だといいました。私はその時もなぜ変なのか聞かずにしまいました。ただ奥さんが睨めるような眼をお嬢さんに向けるのに気が付いただけでした。」 下、30〜31 向上心 「(宿で論争がはじまり、)Kは昨日自分の方から話しかけた日蓮の事について、私が取り合わなかったのを、快く思っていなかったのです。精神的に向上心がないものは馬鹿だといって、何だか私をさも軽薄もののようにやり込めるのです。ところが私の胸にはお嬢さんの事が蟠っていますから、彼の侮蔑に近い言葉をただ笑って受け取る訳にいきません。私は私で弁解を始めたのです。・・・その時私はしきりに人間らしいという言葉を使いました。Kはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の弱点のすべてを隠しているというのです。」 下、32 房州旅行の後のお嬢さんの親切 「それのみならず私はお嬢さんの態度の少し前と変っているのに気が付きました。久しぶりで旅から帰った私たちが平生の通り落ち付くまでには、万事について女の手が必要だったのですが、その世話をしてくれる奥さんはとにかく、お嬢さんがすべて私の方を先にして、Kを後廻しにするように見えたのです。それを露骨にやられては、私も迷惑したかもしれません。場合によってはかえって不快の念さえ起しかねなかったろうと思うのですが、お嬢さんの所作はその点で甚だ要領を得ていたから、私は嬉しかったのです。つまりお嬢さんは私だけに解るように、持前の親切を余分に私の方へ割り宛ててくれたのです。だからKは別に厭な顔もせずに平気でいました。私は心の中でひそかに彼に対する凱歌を奏しました。」 下、32 Kの早退 「その日は時間割からいうと、Kよりも私の方が先へ帰るはずになっていました。私は戻って来ると、そのつもりで玄関の格子をがらりと開けたのです。するといないと思っていたKの声がひょいと聞こえました。同時にお嬢さんの笑い声が私の耳に響きました。私はいつものように手数のかかる靴を穿いていないから、すぐ玄関に上がって仕切の襖を開けました。私は例の通り机の前に坐っているKを見ました。しかしお嬢さんはもうそこにはいなかったのです。私はあたかもKの室から逃れ出るように去るその後姿をちらりと認めただけでした。私はKにどうして早く帰ったのかと問いました。Kは心持が悪いから休んだのだと答えました。」 下、32 お嬢さんの態度 「そのうちお嬢さんの態度がだんだん平気になって来ました。Kと私がいっしょに宅にいる時でも、よくKの室の縁側へ来て彼の名を呼びました。そうしてそこへ入って、ゆっくりしていました。無論郵便を持って来る事もあるし、洗濯物を置いてゆく事もあるのですから、そのくらいの交通は同じ宅にいる二人の関係上、当然と見なければならないのでしようが、ぜひお嬢さんを専有したいという強烈な一念に動かされている私には、どうしてもそれが当然以上に見えたのです。ある時はお嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避して、Kの方ばかりへ行くように思われる事さえあったくらいです。」 下、34 お嬢さんの技巧 「私はKに向ってお嬢さんといっしょに出たのかと聞きました。Kはそうではないと答えました。真砂町で偶然出会ったから連れ立って帰って来たのだと説明しました。私はそれ以上に立ち入った質問を控えなければなりませんでした。しかし食事の時、またお嬢さんに向って、同じ問いを掛けたくなりました。するとお嬢さんは私の嫌いな例の笑い方をするのです。そうしてどこへ行ったか中ててみろとしまいにいうのです。その頃の私はまだ癇癪持ちでしたから、そう不真面目に若い女から取り扱われると腹が立ちました。ところがそこに気の付くのは、同じ食卓に着いているもののうちで奥さん一人だったのです。Kはむしろ平気でした。お嬢さんの態度になると、知ってわざとやるのか、知らないで無邪気にやるのか、そこの区別がちよっと判然しない点がありました。若い女としてお嬢さんは思慮に富んだ方でしたけれども、その若い女に共通な私の嫌いなところも、あると思えば思えなくもなかったのです。そうしてその嫌いなところは、Kが宅へ来てから、始めて私の眼に着き出したのです。私はそれをKに対する私の嫉妬に帰していいものか、または私に対するお嬢さんの技巧と見傚してしかるべきものか、ちょっと分別に迷いました。私は今でも決してその時の私の嫉妬心を打ち消す気はありません。」 下、34 恋の告白ができない理由 「Kの来ないうちは、他の手に乗るのが厭だという我慢が私を抑え付けて、一歩も動けないようにしていました。Kの来た後は、もしかするとお嬢さんがKの方に意があるのではなかろうかという疑念が絶えず私を制するようになったのです。はたしてお嬢さんが私よりもKに心を傾けているならば、この恋は口へいい出す価値のないものと私は決心していたのです。(中略) つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも迂遠な愛の実際家だったのです。 下、35 歌留多でのお嬢さんのKへの加勢 「ところが晩になってKと私はとうとうお嬢さんに引っ張り出されてしまいました。客も誰も来ないのに、内々の小人数だけで取ろうという歌留多ですからすこぶる静かなものでした。その上こういう遊技をやり付けないKは、まるで懐手をしている人と同様でした。私はKに一体百人一首の歌を知っているのかと尋ねました。Kはよく知らないと答えました。私の言葉を聞いたお嬢さんは、大方Kを軽蔑するとでも取ったのでしょう。それから眼に立つようにKの加勢をし出しました。しまいには二人がほとんど組になって私に当るという有様になって来ました。私は相手次第では喧嘩を始めたかも知れなかったのです。幸いにKの態度は少しも最初と変りませんでした。彼のどこにも得意らしい様子を認めなかった私は、無事にその場を切り上げる事ができました。」 下、40 苦しい恋 「(恋について相談を受けて)私はすぐ一歩先へ出ました。そうして退こうと思えば退けるのかと彼に聞きました。すると彼の言葉がそこで不意に行き詰りました。彼はただ苦しいといっただけでした。実際彼の表情には苦しそうなところがありありと見えていました。もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、その渇き切った顔の上に慈雨の如く注いでやったか分りません。私はそのくらいの美しい同情をもって生れて来た人間と自分ながら信じています。しかしその時の私は違っていました。」 下、41 Kの「馬鹿だ」とは、 「私はただKが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。 「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」 私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました。 「馬鹿だ」とやがてKが答えました。「僕は馬鹿だ」 Kはぴたりとそこへ立ち留まったまま動きません。彼は地面の上を見詰めています。私は思わずぎょっとしました。私にはKがその刹那に居直り強盗のごとく感ぜられたのです。しかしそれにしては彼の声がいかにも力に乏しいという事に気が付きました。私は彼の眼遣いを参考にしたかったのですが、彼は最後まで私の顔を見ないのです。そうして、徐々とまた歩き出しました。」 下、42 Kの覚悟 「もうその話は止めよう」と彼がいいました。彼の眼にも彼の言葉にも変に悲痛なところがありました。私はちょっと挨拶ができなかったのです。するとKは、「止めてくれ」と今度は頼むようにいい直しました。私はその時彼に向って残酷な答を与えたのです。狼が隙を見て羊の咽喉笛へ食い付くように。 「止めてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」 私がこういった時、背の高い彼は自然と私の前に萎縮して小さくなるような感じがしました。彼はいつも話す通り頗る強情な男でしたけれども、一方ではまた人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられない質だったのです。私は彼の様子を見てようやく安心しました。すると彼は卒然「覚悟?」と聞きました。そうして私がまだ何とも答えない先に「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました。彼の調子は独言のようでした。また夢の中の言葉のようでした。」 下、43 二人のやりとりの翌朝 「(Kは)近頃は熟睡ができるのかとかえって向うから私に問うのです。私は何だか変に感じました。」 下、44 覚悟の中身は 「すべての疑惑、煩悶、懊悩、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかに畳み込んでいるのではなかろうかと疑り始めたのです。そうした新しい光で覚悟の二字を眺め返してみた私は、はっと驚きました。その時の私がもしこの驚きをもって、もう一返彼の口にした覚悟の内容を公平に見廻したらば、まだよかったかも知れません。悲しい事に私は片眼でした。私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと一図に思い込んでしまったのです。」 下、46 結婚を申し込んだ夕方 「夕飯の時Kと私はまた顔を合せました。何にも知らないKはただ沈んでいただけで、少しも疑い深い眼を私に向けません。何にも知らない奥さんはいつもより嬉しそうでした。私だけがすべてを知っていたのです。私は鉛のような飯を食いました。その時お嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓に並びませんでした。奥さんが催促すると、次の室で只今と答えるだけでした。それをKは不思議そうに聞いていました。しまいにどうしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんは大方極りが悪いのだろうといって、ちよっと私の顔を見ました。Kはなお不思議そうに、なんで極りが悪いのかと追窮しに掛かりました。奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです。 私は食卓に着いた初めから、奥さんの顔付で、事の成行をほぼ推察していました。しかしKに説明を与えるために、私のいる前で、それを悉く話されては堪らないと考えました。奥さんはまたそのくらいの事を平気でする女なのですから、私はひやひやしたのです。幸いにKはまた元の沈黙に帰りました。平生より多少機嫌のよかった奥さんも、とうとう私の恐れを抱いている点までは話を進めずにしまいました。」 下、47 お嬢さんや奥さんの態度の変化 「その上奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突ッつくように刺戟するのですから、私はなお辛かったのです。どこか男らしい気性を具《そな》えた奥さんは、いつ私の事を食卓でKに素ぱ抜かないとも限りません。それ以来ことに目立つように思えた私に対するお嬢さんの挙止動作も、Kの心を曇らす不審の種とならないとは断言できません。 下、47 お嬢さんと「先生」の結婚を聞いたKの言動 「奥さんのいうところを綜合して考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きをもって迎えたらしいのです。Kはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですかとただ一口いっただけだったそうです。しかし奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時、彼ははじめて奥さんの顔を見て微笑を洩らしながら、「おめでとうございます」といったまま席を立ったそうです。そうして茶の間の障子を開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつですか」と聞いたそうです。それから 奥さんのいうところを綜合《そうごう》して考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きをもって迎えたらしいのです。Kはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですかとただ一口《ひとくち》いっただけだったそうです。しかし奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時、彼ははじめて奥さんの顔を見て微笑を洩《も》らしながら、「おめでとうございます」といったまま席を立ったそうです。そうして茶の間の障子《しょうじ》を開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつですか」と聞いたそうです。それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」といったそうです。といったそうです。」 下 53 淋しさからの自殺 「同時に私はKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。その当座は頭がただ恋の一字で支配されていたせいでもありましょうが、私の観察はむしろ簡単でしかも直線的でした。Kは正しく失恋のために死んだものとすぐ極めてしまったのです。しかし段々落ち付いた気分で、同じ現象に向ってみると、そう容易くは解決が着かないように思われて来ました。現実と理想の衝突、――それでもまだ不充分でした。私はしまいにKが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまたぞっとしたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横過り始めたからです。」 下 54 人間の罪 「私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私をKの墓へ毎月行かせます。その感じが私に妻の母の看護をさせます。そうしてその感じが妻に優しくしてやれと私に命じます。私はその感じのために、知らない路傍の人から鞭うたれたいとまで思った事もあります、こうした階段を段々経過して行くうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になります。自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。」 下 56 遺書の最後 (中略) 「私は私の過去を善悪ともに他の参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。」 |