何とか2時間目も終わり、今は3時間目の英語の時間です。
犬神先生に聞いていたのか何の動揺もなくマリア先生は授業を行っています。
幸いなことにかずまちゃんは大人しくねんねしてました。
が、
「ふ、ふみゃー」
「どうしたー?かずま?」
龍麻君、赤ちゃんは返事しませんよ。
「ひーちゃん。おしめじゃないの?」
流石は現役おねーちゃんの小蒔ちゃん、的確なアドバイスです。
「そっか」
かずまちゃんを机に寝かせ、バックから紙オムツを取り出しました。 でも、そのまま動きません。
「どうしたの?龍麻」
葵ちゃんが尋ねます。
「やり方がわかんない」
そうでしょうね。末っ子の龍麻君に育児の経験は全くありません。よってオムツの替え方など知らないんです。
これは小蒔おねーちゃんの出番かと思ったら、京一君がベービー服の下のホックを外し、オムツの具合を確かめてました。
「濡れてねェぞ。腹減ってんじゃねェか」
「何食べるんだ?購買行って買ってくるよ」
「…ひーちゃん。こんな赤ん坊がメシ食えるワケねェだろ」
頓珍漢なこと言う龍麻君に京一君呆れてます。
「あ、おっぱいか?ママ頼むよ」
京一君、シャツのボタンに手を掛けました。
「はーい…って出るかい!」
「何だよ。そんな立派な胸してるくせに。役立たないな〜」
確かに京一君の剣を振るう為鍛えられた大胸筋は見事ですけど、使用目的(?)が違います。いくら何でもお乳は出ませんって。
「そんなの関係ねェ!ってボケてる場合じゃねェな。待ってろッ」
言うが早いがバックを引っ掴み教室を出て行き、神速の名に恥じぬ速さで戻ってきました。
「ほら」
差し出されたのは、適温で丁度良い濃さのミルクの入った哺乳瓶です。
渡された龍麻君は、それをそのまま机の上で寝てるかずまちゃんの口に持っていこうとするではありませんか。
「だーーー。そうじゃねェ!!」
慌てて哺乳瓶を取り上げ、かずまちゃんを抱きかかえミルクを飲ませる京一君。
お腹が一杯になったのを確かめると、背中をさすりゲップをさせるのも忘れません。
あまりに見事な手際に皆感心してます。
「意外だな。お前に赤ん坊の面倒をみれるとは」
醍醐君の言葉は、3−Cの皆の声と言っていいでしょう。
「ホント。ビックリだよね。京一が子守り出来るなんてさ」
「そうね。小蒔。でも、かずまちゃん京一君が抱いても泣かないのよ」
葵ちゃんの言う通り、かずまちゃん京一君にダッコされてるのに泣いてないんです。
「そりゃあ、ママだもんな。京一」
「ひーちゃん……」
またもや龍麻君の悪乗りが始まりそうな気配に京一君がヤな顔してます。
かずまちゃんを抱いている京一君の肩に手を置く龍麻君。ちょっと見にはカップルで通りそうです。惜しむべくはママ役の京一君よりパパ役の龍麻君の身長が数センチほど低いことでしょうか。
「大丈夫だよ。俺、ちゃんと認知するから安心して。後でご両親に挨拶に行こうね。
それに、かずまの世話も出来るように頑張るから。ママ一人に子育てさせたりしないよ」
「ヒューヒュー!」
「お暑いね〜。お二人さん」
「式には呼んでね〜♪」
いいムードです。クラスメイト達が思わず冷やかしたくなるの無理ありません。
「やめーーー!!
お前らこれ以上ひーちゃんを煽るな。調子に乗るだろ。それでなくてもこーゆうベタなネタ好きなんだからよ」
ゆでだこと勝負できるくらい真っ赤な顔して京一君が叫びました。まぁ、かずまちゃんを抱いてるせいでいつもの迫力はありませんが。
「京一。人をお調子者みたいに言わなくても。
そんなに俺のことが信じられないのか。京一ママに負けない良いパパに、良い夫になるから安心して嫁いでおいで」
そう言いながら両手でかずまちゃんごと京一君に腕を回し、爪先立ちになり京一君に口付けようとします。
京一君ピーーンチ。
かずまちゃんのせいで強硬な手段にでれません。
それを見越して相棒をおちょくるあたり、ホントに良い根性してますね。龍麻君。
もちろん龍麻君を煽ったクラスメイトは助けてくれません。どっちかというと美形カップルの濡れ場を期待してる風です。困ったもんだ。
「babyの機嫌も直ったみたいだし、そろそろ授業に戻りたいんだけど、いいかしら?」
腕組みをし、引きつった笑顔のマリア先生が助け舟を出してくれました。
まさに渡りに船。
京一君はかずまちゃんを龍麻君に返すとそそくさと自分の席に逃げ出しました。と言っても京一君の席、龍麻君の隣なんですけどね。
美味しいラブシーンを見逃した皆はブーイングします。
「ママ、照れ屋さんだね〜。かずま」
龍麻君は戻って来たかずまちゃんの頬にキスを落とし笑っています。
申し分ない美形な龍麻君が愛らしい赤ちゃんにキスしてる姿はうっとりもんです。
カップリングは変わってしまいましたが、結構なキスシーンを拝めたので皆も大人しくなりました。現金ですね。
そんなこんなで思ったほどの混乱もなく、赤ちゃんは学校生活に馴染んでしまいました。
真神学園って凄い。
やっぱり、今時総番や前世紀の遺物のようなヤンキーが生息する学校は違います。
赤ん坊の一人や二人でおたおたしないようです。
―――朝
「おはよう。龍麻クン。京一クン。かずまちゃん」
「「おはよう」」
子連れで登校してくる龍麻君と京一君に誰も動じません。
どうして三人一緒かって?そりゃあ、京一君が龍麻君家に住んでるからです。
もともと龍麻君のとこによく泊まっていた京一君ですが、かずまちゃんがきてから育児に未熟な龍麻君をサポートするため同居状態です。
―――授業中
「グウ」
「すう」
「…むにゃ」
この世で犯し難くいとおしいもの、それは安らかな子供の寝顔ではなかろうか。
ベビーバスケットに入って並べてくっつけた机の上にいるかずまちゃん、その両脇に京一君と龍麻君。三人仲良く寝てらっしゃいます。
その寝顔のかわゆいこと。授業の手を止めて先生が見入っちゃうほどです。
先生は苦笑するといつもより小さな声で授業を再開しました。
起きている生徒に聞こえる程度の大きさで、且つ夢の国の住人を現実に引き戻さない声で。
生後数ヶ月の赤ん坊は夜でも授乳が必要で、おちおち寝てられないのを2児の母である国語の先生は知っているのです。我が子が幼かった頃の苦労を思い出すと、なれない育児に疲れて居眠りする生徒を起こすのは忍びなかったみたいです。
優しい先生で良かったね。お二人さん。
尤も、よく考えれば京一君はいつも寝てたような気がするんですけど…。
他の授業も、こんな感じです。もともといつも寝てる京一君も多少授業をサボっても差し支えない成績を誇る龍麻君も、育児疲れを癒す眠りを妨げられることはありませんでした。真神の先生方は、皆慈悲深く寛大です。
―――昼
「はいよ。オマケしといたよ。赤ちゃんの世話で大変だろうからね」
「ありがとう。おばさん」
「どういたしまして、京一君とかずまちゃんが待ってんだろ。早く行っておあげ」
購買のおばさんから特別に取っておいて貰った昼ごはんを受け取ると、龍麻君は皆の所に――屋上に急ぎました。
人好きする龍麻君はその美貌も相まって、購買のおばさん達にも覚えがめでたいんです。
「お待たせ。ママ」
すっかり『ママ』が定着してます。京一君も諦めたみたいです。といっても龍麻君限定です。うっかり他のクラスメイトがそう呼んで京一君にマジにガンつけられたので、それ以後誰も面と向かってママ呼ばわりする剛の者はいません。
「サンキュー。ひーちゃん」
かずまちゃんをだっこした京一君を中心に3−Cのいつもの仲間が給水塔の影でお昼です。
「かずまちゃん。お腹一杯でおねんねよ」
葵ちゃんが京一君からかずまちゃんを預かります。ぐっすり眠っている時は、誰に抱かれても泣きませんからね。
「しっかし、京一が子守りをできるなんて意外だよね」
お弁当を頬張りながら小蒔ちゃんが言うと、龍麻君が尻馬に乗っかります。
「本当だよな。どうしてだ?京一」
「…アネキが里帰りしてくるたんび、子守り押し付けられてんだよ」
言いたくなかったのか、やや拗ね顔になっちゃいました。
無理ないですね。いつも真神一の伊達男と威張ってるのに、おねえちゃんには敵わないなんてちょっと情けない。
「そっかー。京一はママで『おじさん』なんだ」
大好きな焼きそばパンを吹きだす京一君。咽てしまった京一君の背を龍麻君が擦ります。
吹き出さないまでも醍醐君も小蒔ちゃんも喉を詰まらせ優しい葵ちゃんに背中を撫でて貰ってます。しかし『ママ』『おじさん』発言を平然とやり過ごすとは、さすが葵ちゃん、恐るべし菩薩眼の乙女。
「ゲ、ゲホ。ッゴホ。ひーちゃん。
た、頼むからこれ以上、ヘンな呼び方しないでくれよ」
「ヘンな呼び方?」
「ひーちゃん、京一『おじさん』って呼ぶなってコトだよ。
いいじゃんね。ホントのコトなんだもん。
『京一おじさん♪』」
弓手小蒔ちゃんが見事に痛い処を射抜きます。齢十七にして叔父というのは、なかなか嫌なものです。少なくとも言いふらしたくないのは確かでしょう。
「うるせェ。美少年。俺の方がいい男だからってやっかむんじゃねェよ」
京一君、反撃開始。こうなると後はいつもじゃれ合いに発展するだけです。
「誰が美少年だ!京一」
「お前だ。小蒔。ワザとらしくスカートなんかはいてんじゃねェ。似合わねェぞ」
「なんだと!!」
ドタドタドタ。
バタバタバタ。
元気な足音が行き交います。
「いい天気ね」
「ああ、気持ちいいな」
「梅雨の晴れ間は貴重だね」
葵ちゃん、醍醐君、龍麻君はのどかに昼食を続けています。
「京一覚悟!!」
小気味良い打撃音が響きました。
「どわーーーー!!」
京一君の悲鳴が上がりました。
真神学園は今日も平和です。
―――夜
深夜2時、龍麻君のベッドを占領してるのはかずまちゃん。
ベビーベッドなんてあるわけないので、かずまちゃんの為にベッドを譲ったというわけなんです。で、龍麻君と京一君はベッドの隣に布団を敷いて休みます。
「そろそろかな」
オムツを替えて、ついでにおっぱいも飲んで、やっと寝てくれたかずまちゃんの寝顔を見ながら龍麻君が呟きます。
「そおじゃねェか。ウロウロしてたしな」
京一君はかずまちゃんにタオルケットを掛け直してあげてます。
「やだな」
「やだつっても、このまんまって訳にゃいかねェだろ。ひーちゃん」
「いい!かずまはこのまま俺が育てる」
拳を握り締め力説する龍麻君。
父性愛に目覚めた相棒の姿に遠い目をする京一君。
こうと決めたら何が何でも実行する頑固モンの龍麻君のことです。マジでかずまちゃんを育てるに違いありません。そうなったら、このまま『ママ』として付き合ってしまいそうな自分が予想できるだけに怖いものがあります。
若い身空で親になるだけでも遠慮したいのに、その上『ママ』なんて勘弁して欲しいです。なのに龍麻君に流されるのが嫌じゃないなんて、自分が信じられません。
「とにかく、一番に考えなきゃいけねェのはかずまのことだ。俺達の勝手でどうこうしていい問題じゃねェよ。違うか?」
何時になく真剣な京一君の言葉に龍麻君は素直に従います。
「うん。そうだよな。
考えたってしょうがない。寝よ、寝よ」
「おう、それが一番だぜ。寝不足でヒドイ顔になったら真神一の伊達男の名が泣くぜ」
おちゃらける京一君に龍麻君がウインクします。
「ママはいつもカッコ良いよ」
出た!龍麻君お得意の口説き文句。
冗談じゃなくて本気でさらっと宣うので、言われた方が一方的に困らされてしまうという、龍麻君の必殺技です。罪な事に言った本人口説いてるつもりが全くないんですから始末に負えません。
何事もなかったように寝てしまった龍麻君。一人残された京一君は顔を赤くして起きています。心の中で、親友の軽口を真に受けてドキドキしてしまった自分を叱り続けて眠れなくなってしまいましたとさ。
こんな風に三人の1日は幕を閉じます。
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