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気がついたら夏が終っていた
(ワタシだけの『日本ハードボイルド全集』を編んでみた)

 気がついたらあんなに燃えさかっていた夏が終っていた。家の前に生い茂っている草も秋の草だし、あろうことかジョロウグモがでっかい巣を張っていて(ジョロウグモは夏から秋にかけて巣を張る)。ウチを空き家とでも思いましたかねえ……。とにかく、気がついたら夏が終っていた。『日本ハードボイルド全集』の完結がこのタイミングとなったのは、図らずも何かを暗示しているような……。

 ということで、ワタシだけの『日本ハードボイルド全集』を編んでみた。今さらこんなことをやって何の意味があるのかという気もするのだけれど……まあ、ハードボイルドに関連してまだ若干、書きたいこともあるしね。で、「ワタシだけの『日本ハードボイルド全集』を編んでみた」ということに託つけて、それを吐き出してしまおうかなと。何にせよ、溜め込むというのは、よくありません……。ということで、結構、ガチで考えて、次の10+1冊としました。でね、最後まで悩んだのは、あの人の扱い。そう、「そういう人たちと一緒の全集には入りたくない」と言って本家『日本ハードボイルド全集』への収録を拒んだあの人の。そこまで言われたからには、こちらの方から御免こうむるべきかとは思うのだけれど……

  • ⓪鷲尾三郎『俺が相手だ』(1957)※初出は『探偵倶楽部』1954年4月号
  • ①大藪春彦『野獣死すべし』(1958)
  • ②河野典生『黒い陽の下で』(1961)
  • ③中田耕治『危険な女』(1961)
  • ④山下諭一『危険な標的 ソネ・タツヤ無頼帖』(1964)
  • ⑤結城昌治『穽』(1965)
  • ⑥生島治郎『追いつめる』(1967)
  • ⑦矢作俊彦『マイク・ハマーへ伝言』(1977)
  • ⑧夢枕獏『ハイエナの夜』(1986)
  • ⑨夏文彦『ロング・グッドバイ』(1993)※脱稿は1991年1月
  • ⑩稲見一良『セント・メリーのリボン』(1993)

 入れました。まずね、Y氏が日下三蔵が「日本ハードボイルド史〔黎明期・一九五〇〜一九七〇年代〕」で書いているようなことを本当に言ったのか? という点で、確信が持てない。確かにY氏は日下三蔵も書いているように「推理小説という狭いジャンルの枠内で少しずつ発展してきた国産ハードボイルドの流れとは一線を画す活動を続けている存在」。しかし、Y氏のデビューは『ミステリマガジン』ですよ。Y・Tというペンネームも当時の『ミステリマガジン』編集長である太田博(各務三郎)の命名とされる。で、Y氏言うところの「そういう人たち」の中には『ミステリマガジン』の歴代編集長が2人も含まれているわけですよ。その人たちをも掴まえて「そういう人たち」呼ばわりするなんてそれこそ自分自身をも貶めることになると思うんだけれど……。だから、この件については、確信が持てない。少なくとも、Y氏にはY氏なりの言い分があるはずで。一方の主張だけで判断するというのは、あまりにも。それと、ワタシは↑で選出したY氏の作品を、1977年当時、リアルタイムで読んでいるんだけれど、当時、受けた鮮烈な印象を未だに忘れられずにいるんだ。それを「なかったこと」にするというのは、ワタシの信条として、できない。

 で、最終的にY氏の作品を入れることとして、これで10+1冊の陣容が固まったわけだけれど……なんで10冊ではなく10+1冊なのか? あるいは、なんで11冊ではなく10+1冊なのか? これはね、本家『日本ハードボイルド全集』へのワタシの不満が根っこにあって。いやね、冊数の問題は仕方がないと思ってるんだ。東京創元社としても商売なんだから。今時、ハードボイルドなんて流行らないものを10冊も20冊も出すなんてできっこないだろう。だから、もともとの企画の20冊が7冊になったのは仕方がないことだと。しかし、ワタシだけの『日本ハードボイルド全集』を編むに当たって全くの妥協の産物でしかなかったであろう7冊という冊数にこだわる必要はさらさらないわけだから、まず区切りのいいところで10冊にしようと。で、10人をリストアップした上で、この10人を時系列に沿って並べることを前提に収録作品を選定した。たとえば河野典生は『群青』(1963年)にした場合、中田耕治と順番が入れ替わってしまうし、本家『日本ハードボイルド全集』と同様、『他人の城』(1969年)にしたら生島治郎の次まで順番が繰り下がってしまう。時系列に沿って並べる場合、こういう難しさがあるわけだけれど、ただ河野典生の場合は作品の出来から言っても『黒い陽の下で』かなと。これについては後述。ともあれ、こういうかたちで①から⑩までの10作品をセレクトして、これで作業としては一段落。しかし、その後になって、鷲尾三郎を読んだんだよ。この作家が『探偵倶楽部』1954年4月号に発表した「俺が法律だ」を皮切りにハードボイルドふうの作品を何編か書いていたことはワタシも承知はしていて――つーか、ウィキペディアにその旨を加筆したのはワタシなんだから。しかし、その時点では読んでいなかったんだよね。で、それらがどこまでハードボイルドとしての内実を備えたものなのかがわからずにいた。それがだ、ワタシがウィキペディアに列記した3作品(『俺が相手だ』『影を持つ男』『地獄の神々』)はすべて国立国会図書館のデジタルコレクションで読めることがわかって、じぇじぇ。しかも、読んで見たところ、『俺が相手だ』の主人公は各務赳夫という私立探偵。元は捜査一課の刑事で、かつての同僚曰く「日本じやまだ私立探偵には、許可証も、拳銃も渡してないんだし、そんな仕事に首を突こんだつて、危険なばかりで金にはならんよ」。うーん、全く以てハードボイルドの私立探偵そのものじゃないか! で、この『俺が相手だ』が原題(「俺が法律だ」)が示唆する通りミッキー・スピレインを模したものなら『影を持つ男』はダシール・ハメットの『影のない男』を踏まえているのは明かで(ただし、内容は全く関係なし)、さらに『地獄の神々』は東京湾に停泊する賭博船に主人公(帝都新聞のカメラマン・槇健策)が単身、潜入するというレイモンド・チャンドラーの『さらば愛しき女よ』ばりのエピソードも盛り込まれた活劇。加えて、ところどころにチャンドラーばりのウイットに富んだレトリックもちりばめられていて、3作品の内、出来としてはこれがいちばんいいんじゃないかな? ともあれ、3作品ともワタシが事前に想像した以上にハードボイルドしていて、むむ、こうなるとワタシだけの『日本ハードボイルド全集』を大藪春彦の『野獣死すべし』から始めていいんだろうか? と。単純に早いか遅いかで言えば鷲尾三郎の方が早いわけだから。第1巻は鷲尾三郎の『俺が相手だ』にすべきか……。

 しかし、熟考の上、やめました。本家『日本ハードボイルド全集』へのワタシの不満が根っこにあって、というのは、実にここで。ワタシはね、誰が何と言おうと日本のハードボイルドは大藪春彦から始まった、と思っていて。ところが、本家『日本ハードボイルド全集』では第1巻に生島治郎を当て、第2巻に大藪春彦を当てているわけですよ。確かに、五十音順で並べるなら、そうなる。しかし、その場合、都筑道夫が河野典生と仁木悦子の間に入るはずで……となると、もしかして編集委員が考える重要度順? というようなことは第1巻「生島治郎集」が刊行された時点で疑問というかたちで指摘していたのだけれど、どうやら本当にそうだったらしい。というのも、日下三蔵が「《日本ハードボイルド全集》編集を終えて」で書いているところによると、同全集の発案者は北上次郎で、当初は全20巻から24巻という大きな企画だったという。で、全20巻バージョンの構成案も残っているそうで、それは次のようなものだったらしい――①生島治郎②結城昌治③河野典生④高城高⑤大藪春彦⑥中田耕治⑦仁木悦子⑧山下諭一⑨都筑道夫⑩西村寿行⑪矢作俊彦⑫北方謙三⑬船戸与一⑭志水辰夫⑮逢坂剛⑯佐々木譲⑰大沢在昌⑱藤田宜永⑲アンソロジー1⑳アンソロジー2。つまり、この時点で既に第1巻は生島治郎とされていたわけで、北上次郎は『日本ハードボイルド全集』を何が何でも生島治郎から始めるんだと、そういう確固たる方針でこの企画に臨んでいたことがわかる。しかし、正直、これはいただけない。あまりにも「個人的すぎる」だろう……。実は北上次郎は講談社文庫版『夢なきものの掟』の解説でシリーズ第1作の『黄土の奔流』に言及して――「「いつかきっと国産冒険小説の時代がくる」とかたくなに想っていたぼくにとって、『黄土の奔流』はいわば小説以上のものだったのである。それを、わが青春のバイブルだった――と言ったらあまりに個人的すぎるだろうか」。まあ、文庫本の解説で「個人的すぎる」のはヨシとしても、全集の編集でそれをやられちゃあねえ。そもそもそこまで「情」にからめられちゃったらもう「ハードボイルド」ではないですよ。で、ここは一切の個人的感情は排して『日本ハードボイルド全集』のラインナップを検討するなら、やっぱり第1巻は大藪春彦で行くべきですよ。つーかさ、ここはもう1回書いておこう、誰が何と言おうと日本のハードボイルドは大藪春彦から始まった、と。これはね、単にデビューが早かった、というだけではないんですよ。それよりも、当時の文学シーンに与えたインパクト。というのも、大藪春彦の登場は優に1つの〝事件〟だったわけですよ。これについては「日本ハードボイルド史〔黎明期・一九五〇〜一九七〇年代〕」でも「大藪春彦の作品は容赦のない暴力描写と、銃器と車の詳細な解説に特徴があり、その点を批判されることも多かったが、作者はそうした声にひるむことなく個性あふれる作品を書き続け、熱狂的な愛読者たちに支持された」。でね、ワタシはかねがねこの大藪春彦のミステリー文壇への登場の仕方が寺山修司の短歌文壇(歌壇)への登場の仕方に似ているなあ、と思っていて。寺山修司が「チェホフ祭」でデビューしたのは1954年のことですが、『短歌研究』編集長としてこのデビューを司った中井英夫によれば「初めのうちその旨さに舌を巻き、発想の新鮮さに拍手を送っていた歌人たちが、俳句からの模倣問題が表立ってからというもの、どれほどほしいままに罵言を吐きつづけたかを思い返すと、若い芽ならなんでも摘みとってやろうというほどの当時の歌壇のありようを、奇異というより苦くさびしいものにかえりみずにいられない」(角川文庫版『寺山修司青春歌集』解説)。ここに言われている「俳句からの模倣問題」というのは、寺山の短歌が中村草田男や西東三鬼の俳句の模倣であるという批判なんだけれど、実は同じような批判に大藪春彦も晒された。大藪の1960年の作品『火制地帯』がロスマクの『青いジャングル』の盗作だっていうんだね。で、これを理由に大藪は探偵作家の親睦団体である「他殺クラブ」を脱退することになるわけだけれど、寺山修司が被った既存勢力からの攻撃はそれに勝るとも劣らなかった。しかし、それは寺山修司のデビューが紛れもなく1つの〝事件〟だったことの何よりの証であると言っていい。そして、それがゆえにこそ寺山修司には「現代短歌史」において特別な地位が与えられることになる(もっとも、この分野には塚本邦雄と岡井隆という先人がいるため、現代短歌は寺山修司から始まった、とまでは言えない。1980年代に国文社から刊行された『現代歌人文庫』でも第1巻が塚本邦雄、第2巻が岡井隆、第3巻が寺山修司というオーダーだった)。で、寺山修司の短歌文壇へのデビューから遅れること4年、同じ1935年生まれ(!)の大藪春彦は「野獣死すべし」によってミステリー文壇に鮮烈なデビューを遂げる。そして、寺山修司が被ったのと同じような既存勢力からの総攻撃に晒されることになるわけだけれど……こういう2人が辿った軌跡の類似性を考えても大藪春彦という作家のミステリー文壇における特異性というのは明かで、有り体に言って、彼ほどセンセーショナルなデビューを遂げたミステリー作家はいないですよ。だから『日本ハードボイルド全集』と銘打たれた選集(実態としては「全集」ではなく「選集」でしょう)を編み、その第1巻を誰に献ずるかとなれば、躊躇なく大藪春彦を選ぶべき。

 ――という思いがあっての↑のラインナップなんだけれど、その場合の鷲尾三郎の扱いについては、単純に、割愛する、というのも1つの手ではある。実際、高城高とか、島内透とか、泣いてもらった作家はいる。しかし、そうしたくなかったのは……やっぱり、大藪春彦の前に十分にハードボイルドと呼び得る作品を3冊も上梓していた作家がいた、という事実を「なかったこと」にはできないだろうと。それは、ワタシの信条として、できない。で、あえて鷲尾三郎に第0巻という巻号を割り振り、大藪春彦の前に置くことにした。苦肉の策と言えないこともないけれど、本人としては、却ってクールでイケてるんじゃないかと……?

黒い陽の下で

 次は、河野典生の場合は作品の出来から言っても『黒い陽の下で』かな、という件。これがいささかややこしい話なのでそのつもりで読んで欲しいのだけれど……そもそもワタシはこの人の場合、ハードボイルド小説よりもクライム・ノベルとカテゴライズされる作品の方にいいものが多い、という思い込みがあって。いや、それは単なる思い込みではなく、実際のところ、そうなのだと確信もしていて。正直なことを述べるならば、『殺意という名の家畜』を褒める人の気が知れない。星新一は角川文庫版『殺意という名の家畜』の解説で「文章がいい」「全体の構成が、じつにみごとである」「結末がいい。ただの意外性だけでなく余韻のようなものが残る」。もう絶賛という感じなんだけれど、ハテ、オレが読んだ『殺意という名の家畜』と星新一が読んだ『殺意という名の家畜』は同じ小説なんだろうか……? あと、これは河野典生の小説というよりも人物に対するモヤモヤということになるのだけれど――この人はやたらと他人のことを論うんだよ。これについてはかつても書いたことがあって(こちらです)、ここで繰り返すのはどうかという気もするんだけれど、この際だ、もう1回書いておこう――河野典生は1973年に自身初の文庫本として刊行された角川文庫版『陽光の下、若者は死ぬ』巻末に収められた「年譜風あとがき」で「そのころ野坂昭如氏に続き、五木寛之氏が登場。五木氏には、どこか共通の体臭を嗅いだが、「メロドラマチックな構成、ステロタイプの文体などを(言いたいことをいうための)手段として採用する」という一文を読んで、かなり異和感を持った」云々。いや、持ってもいいんだけれど、それをここで書くかなあと。この「年譜風あとがき」というのは、言うならば「ぼく自身のための広告」みたいなもので、河野典生という作家を知ってもらうためのものでしょ。だったら、自分のことを書くべきで、ここに五木寛之が出てくること自体がね。あるいは、それほどため込んでいたっていうこと? そう言えば「被支配者あるいは弱者が、支配者や強者に対してため込んでいる憎悪やねたみ」(スーパー大辞林)という意味の「ルサンチマン」ていう語があって……。で、どうも河野典生という人はハードボイルドを書いていた割には存外にウエットなところがあったようで、こんな同業者に対するあてこすりめいたことをしょっちゅう書いていた。1963年に『宝石』が「日本にハードボイルドは育つか否か」と銘打って特集を組んだ際も「ハードボイルドの商標で僕の感覚的に受け入れることの出来ない某氏の作品が大量にあふれている」云々。名指しはしていないものの、誰が読んだって大藪春彦のことだとわかるような書き振りで、なんでそんなに人のことを言い立てるんだろうなあ。「ゴウイング・マイ・ウェイ」ってわけには行かないのかねえ……と、まあ、そんな感じなんだけれど、ただこの人が書いたクライム・ノベルは、いい。蔵原惟繕監督の『狂った季節』の原作となった「狂熱のデュエット」とか『黒い太陽』の原作となった「腐ったオリーブ」とか。あと角川春樹が「本のタイトルに著作権はない」という理屈で映画のタイトルとしてパクった「いつか、ギラギラする日々」とかね(ただし、映画は角川映画としては製作されることはなかった。最終的にタイトルのみが松竹に譲渡され、当初の企画とは全く異る映画として製作された。当初、角川で企画された映画が流れた経緯についてはこちらに詳述しておりますので興味のある方はご一読を。なお、角川はこの映画のタイトルを2016年に刊行された自著のタイトルとしても使っており、よほどお気に入りだったものと思われる。しかし、そもそもそれは河野典生の本のタイトルをパクったものなんだから。それを松竹に譲渡するわ、自著のタイトルに使うわ……。この厚かましさこそは角川流?)。だから、選ぶんならばクライム・ノベルだろうと。で、最初に選んだのは『群青』だった。ただ、『群青』だと中田耕治と順番が入れ替わってしまうわけですよ。そうすると、1961年に刊行された『黒い陽の下で』が候補になるんだけれど、ワタシは読んだことがなかった。いや、『黒い陽の下で』は1985年に『あれは血の土曜日』と改題された上でケイブンシャ文庫から文庫化されていて、これは読んでいるんだ。ただ、巻末の「文庫本のためのメモ」で「『黒い陽の下で』(一九六一年浪速書房)を改題、主として文章のリズムと結末部分を修正、再生作業を行なってみた。執筆時の二十五歳という年齢にふさわしい、強烈な反逆精神は充分に生かした」。要するに、単に改題した以上の「改変」が加えられていることを示唆しているわけで、これにはいささか唖然としたもんですよ。だってさ、「結末部分を修正」しちゃったらもう別の小説になっちゃいますよ。そんなさ、一種の〝原作レイプ〟みたいなことをなんでやるんだろう……と、もともとこの作家とは相性のよくないワタシがますますこの作家に対する負の感情を高じさせる原因にもなったわけだけれど……ともあれ、『あれは血の土曜日』は読んではいるけれど『黒い陽の下で』は読んではいないわけだから。ワタシだけの『日本ハードボイルド全集』に押し込むにしても読んだ上じゃないとね。ということで、読んで見たわけだけれど、いやー、オドロイタ。河野典生は「主として文章のリズムと結末部分を修正」と説明しているんだけれど、修正は冒頭の1行から最後の1行まで、ほぼ全編に渡る。しかも、修正前と修正後を比較した場合、修正前の方がよかったんじゃないの? ここは、サンプルとして、それぞれの冒頭部分を紹介するなら――

 新宿の「ジエリー・ロール」はモダン・ジヤズ専門の喫茶店だが、夜十一時半には閉店する。
 常連にはデザイナーや画家、学生など若い知識人が多く、夕刻から、仕事はじめの深夜までの時間を、激しいジヤズのビートに打ちのめされるためにやつて来る。
 だが彼らはお互いに話合うことはめつたにない。彼らは彼らの言葉では、仕事にとりかかるためのエネルギーを充電しにやつて来たのであり、発散したり、すりへらすためにやつて来たのではないからだ。


 一九六〇年夏、怒りとジャズと反逆の街――。

 新宿の「ジェリー・ロール」はモダン・ジャズ専門の喫茶店だが、夜十一時半には閉店する。
 ゼリー菓子の名前ではない。
 ジャズの発生地ニューオリンズ、港町の売春街ストーリービルで、ピアノを弾いていた半黒人の男、ジェリー・ロール・モートンの名だ。
 だが、ここ新宿『ジェリー・ロール』の常連はデザイナーや画家、写真家、雑誌関係者など生っ白い連中で、夕刻から深夜までの時間、激しいジャズのシャワーを浴びるためにやって来る。
 彼らは互いに話し合うことはめったにないが、彼らのひとりの言葉では、それぞれ個人個人、仕事にとりかかるためのエネルギーを充電しにやって来たのであり、発散したり、すりへらしたりするためにやって来たのではないからだという。

 まず、冗長だよね。1961年版の簡潔さが1985年版では全く失われてしまっている。それは、1961年版が「描写」しているのに対して、1985年版が「説明」しているために生じた弊害と言っていいでしょう。それから、1985年版には1961年版にはなかった1行が冒頭に加えられているわけだけれど、これによってこの小説に1960年当時を回顧したものであるという結構が与えられることになる。これはね、とてつもなく大きな「改変」ですよ。『黒い陽の下で』というのはもともとは『探偵実話』1960年10月号から1961年4月号まで連載されたもので、物語の「今」が1960年夏ということは、正に当時の「今」の物語だったわけですよ。しかし、それが、冒頭の1行によって「回顧談」へと改変されたと考えるならば……これは紛れもなく〝原作レイプ〟でしょう。こういうことを言わざるをえないというのはワタシとしても実に辛いことであって、ホント、なんでこんなことをやったのかということになるわけだけれど……

 それに対する答とまで言えるかはわからない。しかし、つまるところ河野典生は第7章「血の土曜日」を改変したかったんだと思う。それが目的としてあって、文章に手を入れるなんてのはそのオマケ――、そう思う。では、河野典生は第7章「血の土曜日」をどう改変したかなんだけれど――実は第7章では相当に派手な銃撃戦(いわゆる「ドンパチ」)が繰り広げられる――

 そのとき、ふいにエドセルの後からメルツエデス・ベンツが飛出し、抜いた。そしてそのまま鋭い出足でコロナと並び、抜去る、一人の日本人と一人の白人の顔が見えた。
 隆は拳銃をにぎりしめた。ふいにベンツが停まる。コロナは急停車する。ベンツの後部バンパーに触れかねない近さだつた。
 隆は〔ママ〕たちはショツクをさけようと身をかがめる。同時に青白い光りがベンツの窓から走り、びしつとフロントグラスを銃弾がつらぬき弾けた。
「銃を……」と刑事。
 右手で、回転拳銃を投げ与え、左手で隆は射つ。響音と反動が返つて來、隆はほとんど取落しそうになつた。
「シートで支えろ」
 刑事が叫ぶ。隆はシートに銃身を置き、撃鉄をしぼる。刑事が続く。日本人らしい影がぶつ倒れ大声でわめいた。
 同時に隆の肩を熱いものが走つた。上着と肌の間を走つただけだ。後のエドセルだつた。
 そのときふいに運転席のドアがひらき弓子が飛出した。
「やめろ!」
 隆は叫ぶ。弓子は振向かない。
 ベンツの窓から閃光が走り、二発の銃声がきこえる。すくめた二人の首筋を銃弾がかすめ、フロントグラスはぐしやぐしやになる。
 三発目の閃光が光ると同時にその火点がふつとんだ。刑事の銃弾が命中したのだ。
 飛出した弓子は道路中央へ走り出る。自殺行為だつた。
 後部のエドセル運転席から、大坪が乗出し、撃鉄をしぼつた。一発。二発。弓子は一発目で腹部を二つ折りにし、二発目で足を払われ、転倒した。
 その大坪に向かつて、隆は四発連射した。三発目で、大坪は車窓に突出した首をがくつと不自然にゆれ動かせ、手の拳銃を落した。

 もうね、クライム・ノベルとしても「通俗ハードボイルド」としても申し分ないど派手な銃撃戦。こんなのを読むと、ああ、やっぱり「通俗ハードボイルド」はいいなあ、と……。で、このシーンが1985年版ではどう書き換えられたかというと――

 メルセデス・ベンツが鋭い出足で近付いて来る。一人の日本人と一人の白人の顔が見えた。
 隆は拳銃をにぎりしめた。ふいに弓子はクライスラーを停める。ベンツも急停止する。後部バンパーに触れかねない近さで、タイヤがきしみ、土埃りがあがる。
 ショックをさけようと身をかがめると同時に、青白い光が走り、びしっとフロントグラスを銃弾が突き抜けて来た。
 右手で回転拳銃を抜き出し、左手で支え隆は射った。轟音と強烈な反動、隆はほとんど取り落としそうになった。
 隆はシートで銃身を支え、撃鉄をしぼる。白人らしい影がぶっ倒れて大声でわめいた。
 同時に隆の肩をかすめて鋭く熱いものが走った。
 運転席のドアがひらき弓子が飛び出す。
 弓子はベンツに向かって走った。
 ベンツの窓から閃光が光り、一発、二発、銃声が聞こえる。
 その火点に向かって隆は三発、四発と撃鉄をしぼり続けた。
 ベンツの火点が消滅してからも、しばらく隆はシートの背で回転拳銃を支えていた。
 硝煙の強い刺激臭の中で、静寂が帰ってきていた。
 道路中央で、体を二つ折りにして倒れた弓子が、わずかに体を動かした。
 黒々とした血がひろがって行く。
 隆は拳銃を摑んだまま、粉々にフロントグラスの吹っ飛んだメルセデス・ベンツを覗き込んだ。
 大坪も拳銃を摑んだままだが、がっくりと後ろに倒した頭部は、黒々とした血塊だった。
 白人がうめきながら身動きした。傍らにある自動拳銃を隆はつまみ出して路上に投げた。

 コロナがクライスラーに変わっていたり、最初に撃たれたのが日本人から白人に変わっていたりといろいろ違いはあるものの、弓子が撃たれ(このあと、ほどなく息を引き取る)、大坪が死んだことは同じ。で、あとは「文章のリズム」の違い――かというと、さにあらず。1つとても重要な「改変」が施されている。それは、1961年版には隆とバディのようなかたちで銃撃戦を繰り広げる刑事がいるのだけれど、この刑事が1985年版ではキレイさっぱり消し去られている。河野典生が「文庫本のためのメモ」で「主として文章のリズムと結末部分を修正」と書いた、その結末部分の修正こそはこの第7章「血の土曜日」の銃撃シーンから刑事を消し去ること――。でね、この刑事は何とも不思議な存在で、第7章の中程になって、突然、出てくるんだよね――「石段を踏み出そうとしたとき、ふいに黒い影があらわれた」。それが、件の刑事なんだけれど、これが名なしと来たもんだ。それでいて、演じる役割は重要で、なにしろ隆に拳銃を突きつけられて言うならば人質のようなかたちでトヨペット・ニューコロナで脱出を図る隆たちと同行するハメになるのだけれど、いざ銃撃戦となるや自らも銃を取って参戦。さらには「シートで支えろ」とコーチのような役割も果たすわけで、これだけを見るならば本当にバディですよ。そんな存在がこの第7章の途中で突然、出てきて、そして、すーっといなくなってしまうのだ――「隆はのれんを潜り、「ジエリー・ロール」へ向かつて行つた。刑事は軽く合図を送つてよこした」。そんな描写が第8章「また立つてくる」の最初の方にあって、あとは最後の最後にもう1回出てくるんだけれど、「にがり切つた表情で手錠をがちやがちや云わせてい」るだけで、特に何もしない。もう本当に不思議な存在。そういう存在を河野典生は1985年版から消し去った――ということになるわけだけれど……そもそも、この刑事って、ナニモノ? 突然出てきて、重要な役割を演じ、すーっといなくなる……と考えていたら、あ、これって、隆が生み出したマボロシでは? と。だから、名前がないし、だから、すーっといなくなる……。で、そう考えると、何かと腑に落ちる。ワタシは1961年版の銃撃戦を「クライム・ノベルとしても「通俗ハードボイルド」としても申し分ないど派手な銃撃戦」と形容したのだけれど、本作がそういうテイストを醸し出しているのは第7章だけなんだよね。つーか、第7章がこんな感じなんだから最終章である第8章はどうなることかと思いきや、何のことはない、わずかばかりの肉弾戦が繰り広げられるだけ。もう拳銃が火を噴くこともない。そして、最後にもう1回、件の刑事が出てきてその肉弾戦を眺めながら「にがり切つた表情で手錠をがちやがちや云わせてい」るというね。だから、もう本当に『黒い陽の下で』という小説で「クライム・ノベルとしても「通俗ハードボイルド」としても申し分ないど派手な銃撃戦」が繰り広げられるのは第7章だけなのだ。そして、そこに突然出てくるのが件の名なしの刑事。この刑事を隆が生み出したマボロシと捉えるならば、第7章で繰り広げられるど派手な銃撃戦そのものが隆が生み出したマボロシ――ということになる。でね、ここに至って、あ、ですよ。あ、だったら河野典生は「幻想」に立脚したハードボイルドを書いていたんだ! と……。突然、こんなことを言われても何のことやらチンプンカンプンでしょうが、実はかつてこんなことを書いたことがある。これは、当時のワタシの偽らざる本音ではあるんだけれど……でも、違ったんだよ。ワタシが言う「幻想的なハードボイルド」を実際に河野典生は書いていたんだよ。それが『黒い陽の下で』――。思うに、河野典生は、このニッポン(「銃砲刀剣類所持等取締法」によって銃の所持が厳しく規制されているクニ)を舞台としたハードボイルド小説で本場アメリカ並の銃撃戦が繰り広げられる必然性を追い求めてかくなる方法論にたどりついたんだろう。それ以外の解釈はちょっとできんでしょうから。そして、そう考えるならば、なぜ河野典生が1985年版では件の刑事を抹殺したのかも見当がつく。というのも、1985年ならば、そんな小細工を弄さずとも普通に銃撃戦は描くことができた。何しろ、当時、ワレワレは、毎週日曜の夜8時にはそうしたど派手な銃撃戦を目撃していた。だから、ハードボイルド小説の主人公に銃を取らせるためにはどうすればいいか? なんてことで作家がアタマを悩ます必要もない。必要もないものは消し去るのみ――と、1985年、49歳になった河野典生は考えた……。ただ、そうであったとしても、かつて自分が書いたものをここまで変えてしまうというのは間違いだと思うけどね。つーか、改変される前の方が出来は格段にいいんだから。改変される前の『黒い陽の下で』は見事ですよ。〝ビート小説〟としてまず見事だし、加えてハードボイルド小説のわが国への移植という難題に真摯に取り組む1人の若き作家の〝ドキュメンタリー〟としても見事。この小説が、今、アドレナライズによる電子書籍化の対象からも外されているのはなんとも残念と言うしかなく……。

 あと、もう1つだけ書いておくなら、結城昌治は迷った揚げ句、『』にしたんだけれど、この作品、一般には『裏切りの明日』というタイトルで知られているはず。でも、『裏切りの明日』というのは、1975年、TBSが原田芳雄主演でこの小説をドラマ化した際のタイトルで、早い話がドラマのタイトルなんですよ。ところが、同年、中公文庫が『穽』を文庫化した際、どういうわけか『裏切りの明日』というタイトルを採用。確か帯にはドラマのスチル写真が使われていたはずで、いわゆるドラマ・タイインという形式での出版だった。で、以来、これが踏襲されて、1980年刊行の東京文藝社版「結城昌治長篇推理小説選集」でも2008年刊行の光文社文庫版「結城昌治コレクション」でも『裏切りの明日』。で、こういうのはままある話で、デイヴィッド・グーディスの『ピアニストを撃て』なんかもそうだよね。これについては「本の名は。〜1ダースのペーパーバック・オリジナル③〜」で書いているので気が向いたら読んでもらいたいんだけど……こういうのはダメですよ。『穽』は『穽』なんだ。ワタシだけの『日本ハードボイルド全集』にもあくまでも『穽』として選出。ま、そこんところも含めてヨロシクということで。

 ――と、こうして、結構、ガチで考えて選び出した10+1冊。多分、ワタシはこれからもことあるごとにこれらの小説を読み返すことになるんだろうな。夏が終れば、秋になる。秋が終れば、冬になる。そんな季節をこれらのハードボイルド小説を拠り所として……。