PW_PLUS


そして今日もハードボイルド小説を読んでいる①

 2月5日、母が亡くなった。
 2010年1月に亡くなった父に続いて、今回も最期を看取ることは叶わなかった。
 今回こそは、と強い決意を固め、そのための準備もしてきたつもりだったのだけれど、ワタシの「コロナ陽性」という不測の事態がすべてを台無しにしてしまった。
 ワクチン接種を拒んできた、というツケがこの人生の重大局面で取り返しのつかないかたちでわが身にふりかかってきたと言わざるを得ず、心情をありのままに述べるならば、65年に渡るワタシの人生はこの一事によって全否定されたと言っても過言ではなく……。

 1月15日、関係各方面の協力を得て、一旦、わが家に帰ってきた母を看護師のIさんが写してくれた写真を貼っておきます。
 ちょうど1月6日が誕生日ということで、お祝いの花束も頂き、「家に帰ってこられて良かったね」というS先生の問いかけにも「ほっとした」と応じていた母。
 ワタシが「コロナ陽性」という不測の事態に見舞われることさえなければ、このまま自宅で最期を迎えられたはず。
 しかし、この翌日、ワタシは「コロナ陽性」という〝審判〟を受けることになる。
 それからの20日間あまりをわが家族がどう過ごしたのかをふりかえる余裕は今のワタシにはない。
 ましてや、この日以降の母の写真(兄は「記録」と称して亡くなるその日まで母を写しつづけていた)と相見える勇気なんて。

 ただ、焼き上がった母のお骨は、美しかった。
 白くて、清潔で。
 お前は何も間違ってはいない――、骨上げ台に並べられたその美しいお骨を見た時、ワタシの〝灰色の脳細胞〟はこんな母の声を合成してみせた……。



 アメリカン・ペーパーバックのコレクターなら、多分、ご存知だろうと思うのだけれど、かつてアメリカン・ペーパーバックのカバーにお約束のようにあしらわれていたお色気タップリの女性画、これをGGAと呼ぶ。Good Girl Artの略で、有り体に言って、アメリカン・ペーパーバックの魅力の大半はこのGGAにあったと言っていい。その証拠に何人かの特に人気のあった絵師に限ったことではあるけれど、立派な作品集まで作られていて、かくいうワタシの書棚にも何冊か並んでいる。とりあえずここではThe Paperback Covers of Robert McGinnisのカバーを貼っておきますが、他にもDames, Dolls & Gun Molls: The Art of Robert A. MaGuireとかThe Fantastic Art of Boris Vallejoとか、まあ、いろいろ持っておりますよ。でね、同じような扱いを受けていい絵師が日本にもいて、たとえば大藪春彦のお気に入りだった大塚清六とか、同じく大藪春彦のお気に入りだった宮永岳彦とか。2人が手がけたOYABU HOT-NOVEL SERIESのカバー(たとえばこれとかこれとか)なんて全盛期のアメリカン・ペーパーバックのカバーに勝るとも劣らない。多分ね、これらのカバーをお目当てに同シリーズを買い漁ったコレクターも少なからずいるはず。にもかかわらず、2人の作品集なるものは未だこの世に存在しない……。

 つーかね、そもそも日本では本の表紙にお色気タップリの女性画があしらわれることは一般的ではなかった。これ、ちょっと意外だと思うんだけれど(だって、1980年代から90年代にかけてわが国の図書市場を席巻したいわゆる「バイオレンス小説」のカバーなんてとても良い子のみんなに見せられるものではなかったわけだから)、このことは実際にワタシが持っている本(新書=和製ペーパーバック)のカバーを見ていただければご理解いただけるはず。たとえば1961年に新潮社が立ち上げたポケット・ライブラリというラインがあるのだけれど、その第30巻が大藪春彦の『人狩り』で、そのカバーはというとこれ。まあ、品行方正というか。ちょっとアンカー・ブックス(Anchor Books)に似ていないこともない。1953年にアメリカの名門出版社、ダブルデイ(Doubleday)が立ち上げたペーパーバックのラインで、尾崎俊介氏によれば、当時、アメリカでは「エッグヘッド(ガリ勉)・ペーパーバック」などと揶揄されたという。新潮社がやはり日本を代表する名門出版社であったことを考えるならば、このポケット・ライブラリは日本版アンカー・ブックスとして企図されたものだった――のかも知れないね。いずれにしろ、GGAとは全く無縁な世界。また日本におけるペーパーバックの草分けと言えば講談社が1955年に立ち上げたロマン・ブックスだと思いますが、かの野坂昭如の『エロ事師たち』は1966年に講談社からハードカバーで刊行された後、1967年にロマン・ブックスからペーパーバック化されている。その表紙がこれ。これも実に端正というか(装幀は長尾みのる)。とても昭和の性風俗をヴィヴィッドに活写した(エロ)小説の表紙とは思えない。他にも文藝春秋刊行のポケット文春だとこんな感じだし、集英社刊行のコンパクト・ブックスだとこんな感じ。まあ、これらはすべて刊行元は大手出版社なので、全部ひっくるめて「エッグヘッド(ガリ勉)・ペーパーバック」と見なす見方もあると思うけれど、実はかつては貸本を手がけていた出版社が一般書籍も扱うようになり、大手出版社の後を追うように自前のペーパーバック・ラインを持ったというケースもあって、たとえば東京文藝社のトーキョー・ブックスがそうなのだけれど、1967年に刊行された生島治郎の『傷痕の街』のカバーはこれ(装幀は風間完)。他にも桃源社刊行のポピュラー・ブックスだとか(たとえばこれ)日本文華社刊行の文華新書だとか(たとえばこれ)。いずれもなかなかにピクトリアルではあるけれど、お色気要素は皆無。さしずめ『適切にもほどがある!』。これじゃあ、売り上げが伸びないのも当然だ……。

 ということで、日本ではイギリスやアメリカで起きたような「ペーパーバック革命」は起きなかったわけだけれど(もちろん、その理由は、カバーがあまりにもお行儀が良すぎた、ということだけではないとは思うけどね)、実はそんな中にあってもアメリカン・ペーパーバックの魅力を正しく日本の本読みたちに伝えようとした出版社が1社だけあって、それがOYABU HOT-NOVEL SERIESの刊行元である徳間書店(あるいは、その前身のアサヒ芸能出版)。この出版社からは、こんなクールな装幀(まるでブルーノートからリリースされたモダン・ジャズのアルバム・ジャケットのよう?)の本がハードカバーとして刊行されたりもしていたのだけれど、やはりペーパーバックのラインを持っていて、それが平和新書。この平和新書から刊行された『蘇える金狼』のカバーがGGAとしてはもう最上級の部類と言ってよく。残念ながら、ワタシは持っていないので、とりあえずこちらにリンクを貼っておきますが……これぞGood Girl Artですよ。このGGAを手がけたのが、誰あろう、大塚清六である。この際だから、やはり大塚清六の装画で平和新書から刊行された『野獣都市』のカバーも貼っておきますが、GGAじゃないというだけで、表紙絵としての魅力たるや、こちらもハンパない。上口睦人が装幀を手がけたハードカバーと比べても、表情がある、ということで言えば、こっちの方が上じゃないかなあ。とにかく、良い。で、この大塚清六、他にも『面白倶楽部』1958年11月号に掲載された藤原審爾の「殺し屋」だとか『ユーモア画報』1962年11月号に掲載された山下諭一の「冷たいサヨナラ」だとか、ワタシが愛してやまないわが国ハードボイルドの草創期を彩る傑作短編の挿画を担当している(ちなみに「冷たいサヨナラ」はいわゆる「殺し屋シリーズ」の1作なのだけれど、1965年に芸文社から刊行された『俺だけの埋葬簿』には収録されていない。また『俺だけの埋葬簿』の装幀・挿画も大塚清六ではなく山野辺進。「殺し屋シリーズ」は全作『ユーモア画報』に掲載されたものであり、挿画も全作、大塚清六が担当。しかし、それら『ユーモア画報』のために描かれた挿画は書籍化に当たってすべてボツにされたということ……)。他にも笹沢佐保の「死人狩り」(『平凡パンチ』連載)の挿画だとか五木寛之の「裸の街」(『週刊文春』連載)の挿画だとか(ちなみに『裸の街』の書籍化に当たっても『週刊文春』のために描かれた挿画はボツにされている。同じ文藝春秋なんだから、権利がどーのってことはないはずで、それよりも雑誌編集部門と書籍編集部門では装画や挿画に対するスタンスが異るのかも知れない。天下の文藝春秋の書籍にGGAは相応しくない……くらいのことは普通に考えていそうで……)。

 ――と、こんな感じで、大塚清六描くGGAは、わが国ハードボイルドの草創期にあって、荒くれ男に寄り添うジェルソミーナのような役割を果たした、とでも言えばいいのかな? そういう功績があって、ワタシは大塚清六こそは「日本のロバート・マッギニス」であると確信しているのだけれど、であるならばこの人の作品集の1冊や2冊は出ていても全然おかしくない。にもかかわらず……というようなことを考えながら、これからも生きていこうかな、と。



「住吉神社前の大コ橋」にて

 別にGGAと言い張るつもりはないけれど、最後にワタシがいちばん好きな母の写真を貼っておきます。裏には母の自筆と思われる字で「住吉神社前の大コ橋」と書かれていますが、これは「住吉大社前の太鼓橋」が正しいはず。もっとも「太鼓橋」は通称で正式名称は「反橋」とか。「橋は川端康成の小説『反橋』(1948年発表)の舞台となった」――とは、ウィキ先生の講義の一節。しかし、若いなあ。しかも、これは紛れもない「女」の写真ですよ。ちょっと斜に構えて、左足を前に出す――、いわゆる〝コンパニオン立ち〟というやつですが、老いてからも母はカメラを向けると自然にこういうポーズを取ってみせた。これなんかもそう。そんな母がワタシは好きだった。特にこの「住吉神社前の大コ橋」で撮られた1枚は恋心さえそそられる。そういう意味では、大塚清六が描く永井京子に勝るとも劣らない。ああ、だったらやっぱりこれはワタシにとってのGGAなんだなあ……と、涙で煙った目で殴り書いておく……。


追記 いやー、マイッタ。拙サイト関連の画像なんて今や200枚以上あると思うんだけれど、よりによってこの3枚をチョイスしてみせるとは。しかし、これは、正しい。全く以て、正しい……。