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そして今日もハードボイルド小説を読んでいる②

 まずは「そして今日もハードボイルド小説を読んでいる①」の記載を一部、訂正しておきます。ワタシは同記事中で山下諭一の「冷たいサヨナラ」に関連して次のように書いたのですが――「「冷たいサヨナラ」はいわゆる「殺し屋シリーズ」の1作なのだけれど、1965年に芸文社から刊行された『俺だけの埋葬簿』には収録されていない。また『俺だけの埋葬簿』の装幀・挿画も大塚清六ではなく山野辺進。「殺し屋シリーズ」は全作『ユーモア画報』に掲載されたものであり、挿画も全作、大塚清六が担当。しかし、それら『ユーモア画報』のために描かれた挿画は書籍化に当たってすべてボツにされたということ……」。しかし、「「殺し屋シリーズ」は全作『ユーモア画報』に掲載されたものであり」という部分に一抹の不安を覚え調べてみたところ(方法は、Aucfreeで検索するとか、ベタな方法です)、第7話「ふたつの仕事」と第12話「小さな結末」は『ユーモア画報』への掲載を確認できず。また山下諭一が『ユーモア画報』で「殺し屋シリーズ」の連載を開始したのは1962年11月号からだと思いますが、同号掲載の「冷たいサヨナラ」から1963年2月号掲載の「黒い水」までは『俺だけの埋葬簿』に収録されていない。これがどういう意図によるものなのかは不明。山下諭一が『ユーモア画報』に寄稿した殺し屋ものは全部で13話になるはずで、これで1書を編んでもよかったはず。あえて最初の3話を割愛し、代って『ユーモア画報』非掲載の2話を加えて全12話としたのには何か意図があるのかどうか……なんてことでアタマを悩ませているニンゲンなんて、ニッポンでもオレくらいのもんだろうなあ……。

ユーモア画報

 ところで、この『ユーモア画報』という雑誌なんだけどね、これがお下劣でねえ。→に紹介した表紙に騙されてはイケマセン。この表紙だけ見ればまるでスリック・マガジンのようなんだけれど(紙質も光沢があり、その限りでは十分に〝スリック〟ではある)、中身はパルプそのもの。つーか、ほとんどカストリ雑誌と変るところがない。たとえばグラビア頁はすべてフォト・ストーリー仕立てになっているのだけれど、「黒衣に包む激しい思慕 忘れ得ぬ君のおもかげ」とか「人妻の情事 湖畔に結ぶ不倫の契り」とか。もうほとんど『青春タイムス』のグラビア頁ですよ(と言われてもなんのことやらわからないという方はこちらをご覧いただければ。ただし、閲覧には国立国会図書館の利用者登録とログインが必要となります)。で、そんなグラビア頁ではあるんだけれど、いささかあなどれないところもあって、冒頭の「眠りの森の美女」は「フォト・ストーリー」ならぬ「フォト・ファーブル」(「ファーブル」は「フェイブル(fable)」のことと思われる)と銘打たれていて、文章を書いている人物も明記されている。それは嶋岡晨という人物なのだけれど、ウィキ先生によれば――「嶋岡 晨(しまおか しん、1932年3月8日‐ )は、日本の仏文学者・詩人・評論家・小説家。立正大学名誉教授。(略)高知県立高知工業高等学校建築科、明治大学文学部仏文科卒、同大学院文学研究科修了。大学在学中に後輩の片岡文雄らと詩誌「貘」を創刊。1958年に寺山修司と「様式論争」を繰り広げるが、1959年には寺山らと詩劇グループ「鳥の会」を結成する。「歴程」同人、「無限」編集長を歴任」。しかし、そんな歴程派(?)の詩人にこんなお下劣な雑誌への寄稿歴があったとはオドロキで、さすがのワタシも、これはどうしたものかと。ここは「見なかったこと」にするべきかなあ……と、エライ人の秘事を目撃した小役人みたいなことを思ってみたり……。

 一方、山下諭一はどうかというと……これが、全然、違和感がない(笑)。というのも『ユーモア画報』以外にも山下諭一が自作の発表媒体とした雑誌にはなかなかに香ばしいものが少なくないんだ。たとえば『週刊漫画TIMES』とかね。なんでも『週刊漫画TIMES』は現在も刊行されているそうですが、当時と現在ではターゲットとする読者層が違うようで、当時は完全に成人向けの漫画雑誌。当然、香ばしいことこの上もない。とりあえずここでは「灰色の禁猟区」の第1話が掲載された1965年8月28日号を貼っておきますが、表紙は宮永岳彦ですよ。そう、OYABU HOT-NOVEL SERIESのこれとかこれとかを描いた人ね。大塚清六が「日本のロバート・マッギニス」ならこちらは「日本のロバート・マグワイア」かなあ……。まあ、そんなこんなで、山下諭一という「ハードボイルド作家」が作品を発表する媒体としては、ふさわしいっちゃあふさわしいんだけれど、とはいえ漫画雑誌だからねえ。でも、どうやら漫画雑誌というのは(少なくとも草創期の)ハードボイルドとはなかなかに親和性が高かったようで、河野典生の「通俗ハードボイルド」の快作『三匹の野良犬』も「ざまあみやがれ」というタイトルで『週刊漫画天国』に連載されたもの、なんだよね。ワタシは現物を見ておりませんが、こちらで確認することができます。ちなみに『週刊漫画天国』の刊行元は『俺だけの埋葬簿』の刊行元である芸文社。で、芸文社は「芸文アクション・シリーズ」というアクション小説に特化したシリーズをペーパーバック形式で刊行したこともあって、『三匹の野良犬』はこの「芸文アクション・シリーズ」からの刊行。で、この「芸文アクション・シリーズ」というのがコレクター泣かせというか、全6巻(日下三蔵氏情報)をコンプリートしている人なんているのかなあ? かくいうワタシは『残酷なブルース』のみ所有しておりますが、これでも結構、自慢できる部類かと。

 ――と、こんなふうに、わが国ハードボイルドの草創期、発表媒体としてその育成に一役買ったのが『ユーモア画報』のような〝エロ雑誌〟や『週刊漫画TIMES』『週刊漫画天国』のような成人向け漫画雑誌だったということはココロに留めておいていい事実だと思う。まあ、そもそもワタシはニッポンにおいてハードボイルドのゆりかごの役を果たしたのはカストリ雑誌だったと思っていて、それを立証する事実もこちらで提示しております。カストリ雑誌がゆりかごだったのなら、その育成に一役買ったのが『ユーモア画報』のような〝エロ雑誌〟や『週刊漫画TIMES』『週刊漫画天国』のような成人向け漫画雑誌だったというのもなんの違和感なく受け入れられる事実であるはず。で、こうしたことも踏まえて、こっからはあえてこういうふうに話を運びたいのだけれど――1992年に48歳で亡くなったハードボイル作家・夏文彦――と言われても、誰のことやら皆目……という人は、まずはこちらをお読みください。自分で言うのもなんですが、夏文彦に対してここまで思いを寄せた記事は(少なくともネット媒体では)他にありませんよ。で、その思いの根底には「忘却」を以てこの人に2度目の引導を渡そうとしているものたちへの怒りがある。「忘却」というのは、生者が死者に行ないうる最大の冒涜ですよ。その人のことを忘れない限り、その人がいなくなることはないんだよ。ちなみに、ネット上では永六輔の言葉として出回っていますが――「人間は二度死にます。まず死んだ時。それから忘れられた時」。しかし、同様のフレーズはもっと古くから存在するようで、「たった1人でも、だれかがあなたを思っている。だれもあなたの事を思わなくなったら、人はこの世からいなくなって消えてしまう」――というアメリカの先住民族(いわゆる「ネイティヴ・アメリカン」。ただし、「アメリカ・インディアン」の〝政治的に正しい〟呼称として日本でも広く使われている「ネイティヴ・アメリカン」という呼称を当の「アメリカ・インディアン」は必ずしも好んでいない、という調査結果もあって、この問題はなかなか一筋縄では行かない。要するにですね、「ネイティヴ・アメリカン」だとアラスカのイヌイットやハワイのミクロネシア系住民も含んでしまうわけですよ。そういう意味で「アメリカ・インディアン」の方が正しくその対象を指し示していることは間違いない。件の調査でも50%が「アメリカ・インディアン」、37%が「ネイティヴ・アメリカン」を好ましい呼称と答えたとか。まあ、以上の情報の出所は、以前、自分で書いたこちらの記事だったりするわけですが……)、ブラックウルフ族の伝承を紹介しているブログ記事もある。ワタシが言わんとしているのも、つまりはそういうことであります。で、そんな思いが高じて、今、ワタシがなんとしてでも読みたいと思っている小説があって。それが「夢殺師・ヨコハマ鎮魂歌」。夏文彦の生前に発表された小説としてはこれが最後の作品となる。この小説については、得られる情報はきわめて限られているのだけれど、夏文彦の死後、友人らによって追悼出版された『ロング・グッドバイ』の巻末に収められた「冨田幹雄(夏文彦)年譜」では1991年5月の条として――「『実話ニッポン』で最後の連載となった「夢殺師・横浜鎮魂歌」開始」。さらに1992年7月13日の条として当人が書き残した「入院日記」の一節を引用しつつ――「「夢殺師」最終話、21枚了。最後に〈完〉を入れながら、俺も〈完〉か、冗談じゃねえ、と思う。2〜3日前から、背中痛ひどし」。で、この「ヨコハマ鎮魂歌」(「年譜」では「横浜鎮魂歌」としておりますが、これは間違いで、正しくは「ヨコハマ鎮魂歌」。また「鎮魂歌」には「レクイエム」とルビが振られている)が掲載された『実話ニッポン』なんだけれど……これが国立国会図書館にも所蔵されていない。いや、全く所蔵されていないわけではなく、第1巻1号(1982年8月号)と第13巻10号(1994年5月号)から第15巻6号(1996年3月号)までは所蔵されている模様。でも「夢殺師・ヨコハマ鎮魂歌」が連載されたのは1991年から92年にかけてなので。また、大宅壮一文庫にも第1巻2号(1982年8月号)のみ所蔵されているようで……。でね、これは去年の12月のことなんだけれど、思い余って刊行元である竹書房に問い合わせたんだよ。こういう状況なのですが、御社に保存されている『実話ニッポン』のバックナンバーを複写させていただくことはできませんか? と。ところが、日を置かずして頂戴した返信に記されていたのは――「残念ながら、弊社でも『実話ニッポン』のバックナンバーは保存しておらず、夏文彦先生の執筆状況についても、当時の編集部はすでに解散し、担当も退社していることから、弊社でもわかりかねます」。ええ、そんなあ……。

 ということで、夏文彦の生前に発表された小説としては最後の作品となる「夢殺師・ヨコハマ鎮魂歌」を読もうと思うならネットオークションなどを駆使して掲載誌を入手するしかないということになるわけだけれど、現状、ワタシは第2話が掲載された1991年7月号のみ入手済み。しかし、Aucfreeで検索すると、過去には他の掲載号も出品されたことがあるようなので、ここは地道に張りつづけるしかないか。ただ、全号を揃えるとなると、何年かかることやら。ここは、現実的な選択肢として、掲載号は見逃さないよう注意を配りつつも、当面の目標としては、最終話が掲載された号に狙いを絞るということか? もっとも「冨田幹雄(夏文彦)年譜」でわかるのは夏文彦が「夢殺師・ヨコハマ鎮魂歌」の最終話を脱稿したのが1992年7月13日というだけで、掲載号まではわからない。まあ、普通に考えて、8月号か9月号、ということになるだろうけれど、8月号にしろ9月号にしろ、これまでネットオークションに出品されたことはないようなんだ(Aucfreeの検索結果)。となると、これでさえ現実的な選択肢とは……。『実話ニッポン』などというヤクザな雑誌に作品を――就中、その作家の〝白鳥の歌〟となる作品を――発表すると、後世、信奉者をしてこんな苦労をかけることに……。